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【筋トレによって生まれる自信の正体】筋トレって読書と同じじゃね?【自己愛】

今日は初めてプリチャーカールベンチとバーベルスクワットをやった。
人の目が少し怖かったけど、チャレンジしてみて良かった!

先日友達と飲んでて「なんで筋トレしてんの?」って聞かれた。
あまりにも突然だったから「スポーツと一緒で体を動かすのは楽しいじゃん?」と曖昧な回答をしてしまったのだけれど、今日筋トレしていて少しだけ感じたことがあるから記載したい。

なんで自分は筋トレにはまりかけているのか?

  1. 最初は自分に自信が持ちたかったから
    実は今年の4月から5月にボクシングジムの体験に3店舗ぐらい行った。そのうち1店舗に入会したけれど、なんだかしっくりこない。単純に格闘技を身に着ければ根拠のない自信を身に着けることができるかなと考えていたけれど、「試合に出場したい」や「脂肪を燃やしたい」という考えでは全くなかったから、明確な目標が設定できなかった。そもそも格闘技を身に着けて日常で使う機会あまりないし…。
    だからまずは見た目がもっとかっこよくなりたいな、自信を持ちたいなという理由で筋トレを始めた。が、まだ自分に自信は持てない。

  2. 筋トレって読書と同じじゃね?
    これが今日のトレーニング中に感じたこと。ただ淡々と一人でメニューをこなす。心の中では「きついなぁ」とか「正しいフォームでできているかな」とかちょいちょい考えてる。これって自分が好きな読書と同じ感じがする。本ってただ淡々と読んで情報を入れるって目的のほかに、自分との対話って目的もあると思う。
    東方projectの作者であるzunさんも以下のように話している。

自分を見つめなおすというか…本を読んでいる自分を好きになるという感じ。ほかのことはできるだけ遮断して本だけを読んで、「本を読んで自分がどう感じるか」を探している感じ。

CREATIVE TRAINのインタビューより

まさに「究極の内省」。筋トレも同じ分類だと思う。筋トレを通して自分がどのように考えているのか、どうなりたいのかを探っているような感じ。結局は自分が大好きなのかもしれない
いつか自傷的自己愛について記事を書きたいが、自分も含め劣等感に苦しめられている人は「想像の中のかっこいい自分」と「現実のみっともない自分」のギャップに苦しめられているように感じる。だから理想としている自分像に近いかっこいい人たちの事を妬んで、劣等感を抱いてしまうのだと思う。
 筋トレはその分、自分の弱さを突き付けられる。「ベンチプレスのこんな重量で自分はきついのかよ!」とか、「鏡の前の弱弱しい自分」とか。それでも筋トレはつづけた分成果が目に見えてわかるし、体重も数字として出るそして他人と比べられることがない!!(重要)。だから自己肯定感が生まれて、理想の自分とのギャップを埋めていくことができるんだと思う。筋トレでつく自信ってこれによって生まれるんじゃないかな。まだ自分には生まれてないけれど。

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