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わたしは”経験を語りたい方”のサバイバー。

こんにちは!
夏本番ですでに体力の限界を感じていますが、皆さんはお変わりないでしょうか✨

さて、日経新聞で気になる記事を見かけました。全国がん患者団体連合会理事長の天野さんの記事です。「(がん)患者経験自体に価値」というフレーズが、まさに今仲間と活動している”あの風”企画の背中を押すような記事だなと感じ、「がんサバイバー(がん経験者)が自身の体験を言葉にすること」について改めて考えてみました。

#COMEMO #NIKKEI

”サバイバー”と”サバイバー以外”

二人に一人はがんになるこの時代。
皆さんの周りに、がんサバイバーはいますか?
わたし自身は、がんになる半年前に実は親族をがんで亡くし、その時初めてがんを身近な病気として認識しました。そんなわたしががんになって、更に身近な存在となりはじめに感じたのは「いつでも誰でもがんになる可能性がある」ということ。
考えれば当然のことなのですが、これは本当に自分が実際なってみないと実感できない体験でした。どんなに健康だと思っていても、がんというものはある日突然告知されます。

だから、サバイバーでない人も、がんについてもっと知っておいた方が絶対良いと思うのです。もし自分が明日告知されても絶望感に押しつぶされないために。

壁を作っているのはどっち?

身近にサバイバーがいる方は、サバイバーに最初、どんな言葉を掛けたでしょうか?「応援してるよ!」「絶対治るよ!」もしくは、どんな風に声を掛けたらいいのか全く分からなかった、という方もたくさんいると思います。
何か声を掛けたいのに、応援してることがうまく伝わらず傷つける言葉として捉えられてしまったらどうしよう、とグルグル考えてしまうのはとてももどかしいですよね。

わたしも告知後、家族との会話で傷ついたり悩んだりする場面が度々ありました。
わたしは手術の後遺症で排尿障害が残ったのですが、親からことあるごとにそのことをしつこく聞かれ「こっちが知りたいわ!」と数ヶ月後ついにブチギレてしまいました;
他の話題であれば全く気にせず応えられるのですが、本人が深く悩んでいる後遺症とかの話題は特に地雷(言葉選びが雑ですいません)だったりして、会話の中でそのことを察してもらえないと、サバイバーも人知れず傷ついたり歯痒い思いをしている実情があります。
そして自分だって説明不足なのは自覚しているので、怒ってしまった後に自己嫌悪に陥ったり。。
そんな気持ちのすれ違いがどんどん積み重なると、その後の関係に大きな影響を及ぼすことも少なくないと思います。

もしかするとそんな気持ちのすれ違いが、”サバイバー”と”サバイバー以外”との溝をますます深くしてしまっていて、「サバイバーには何て声を掛けたらいいのか全く分からない」という悩みに繋がっているのではとも思うのです。

更に、”あの風”企画を巡ってもこんなことがありました。
ちなみに”あの風”企画とは「女性サバイバーが、自身の体験や想いを短歌に表現し、一冊の短歌集の制作を目指している」プロジェクトなのですが、
企画を進めるにあたり外部の方の意見もいただきたいということで、先日、サバイバーではない方に客観的な意見をお聞きする場があったのですが、そこで「サバイバーのためだけの企画という印象が強く、サバイバーでない者がシェアしづらい」との意見をいただきました。
外部からの貴重な意見だなと聞いていたのですが、もしかしたら私たちサバイバーの側も「がんに詳しくない人にはあまり知られたくない」と無意識にバリアを張っている瞬間があるのかもとハッとさせられました。

サバイバーとしての体験を語ること

そんな体験や想いから、わたしはもっとサバイバーが自身の気持ちを綴ったり、ならではの体験を語ったりしても良いのではと感じています。
がんに罹患したからこそ伝えられるメッセージが必ずあると思うし、実際ブログやSNSで自身の体験を記している”闘病アカウント”はたくさん存在していてたくさんの共感を得ているからです。

さらにコロナ以降、サバイバーは新たなリスクや不安感も抱えることとなりました。
そんなサバイバーの心のケアのために、対面での患者会などは開催できないけれど、オンラインで交流し情報交換しあう場が日々広がっているなと感じます。zoomやLINEを通じて「こんなことに悩んでいる〜」「わたしもそうだった〜」「そんな時はこれがおすすめ〜」などお互いの経験や悩みを語ることで、心を支え合う場というものがどんどん広がっているのです。

「語り方」にはこだわりたい

不安や体験を語ることは、同じ境遇にいる他の誰かにエールを贈ることにつながっているのだとわたしは思います。
そして、誤解なくエールを贈るためには「語り方」「語らせ方」も大変重要だと感じています。
わたし自身、がんになってからもっと病気について知りたいと思い、有名人による闘病記を何冊も読んだのですが、その時のわたしにはどれも言葉が重くて。ますますのしかかる不安感とよく分からない専門用語に心を潰されそうになって「何のために読んでいるのか?」わからなくなってしまいました。

同じステージの、同じ術式を選択した方の闘病記は確かに参考になるのですが、わたしには大抵重すぎました。。そんな中でも有名人によるがん闘病記で1番好きだったのは佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」です。
タイトルからも想像できるかと思いますが、この闘病記は他のものと一線を画しています!余命宣告をされてもタバコを吸い、スポーツカーを買ってしまう佐野さんの自由な心に惹かれ同じサバイバーとして希望を感じたのです。

だから、闘病を語る方法も、その方の心や生き方を象徴するような自由な方法で良いと思うのです。必ずしも事実関係に忠実な、生物学的な読み物でなくても。
経験を語る人も、語らせる人も、もっと今までの枠にとらわれない方法やツールで語れば、共感も広がっていくのではと感じます。
例えば、youtuberのヒダノマナミさん。がんサバイバーとしての経験を新しいツールを使って語る彼女のチャンネル登録者は1万人を超えます。ステージⅣの彼女が自身の経験と下調べを元にサバサバと語る姿は、これまでの闘病記のイメージを良い意味で大きく変えてくれていると感じます。

作品として、語る

そんな風に、サバイバーとしての”語り方”を色々考えていく中で、自身の体験や想いを「作品」として昇華させることを、わたしはぜひ進めていきたいなと思っています。
今取り組んでいる”あの風”もそんな想いからはじめました。

暗闇で一人で泣いていた告知後のあのときのわたしを、1年経ってやっと俯瞰して見つめることができるようになって、あのときの想いや体験を忘れないうちに何かの形で残したいと感じるようになりました。日記でもない、何か別の形で。
そんなときに出会ったのがわたしは「短歌」だったのですが、その他にもイラストや映像や漫画など、表現方法は色々あると思います。

サバイバーとしての体験を「作品」にするメリットは、たくさんあります。
まずはチャンネルが増えるということ。単なる体験記でなく「作品」とすることで、サバイバー以外の目にも触れる機会が増えます。
また、制限のある表現方法を選ぶことで生まれる「余白」も大切だと感じます。全てを語り切らないからこそ、もっと知りたいという受け手側の能動的な行動につながるし、作品として、フィクションの可能性もわずかに残しておくことで「重すぎる」とすぐ拒絶される機会が減るように感じます。
更に、作品として仕上げていくプロセスもかけがえのない時間と感じられるのではと思います。そのままの主観的な事実として書くのではなく、作品として色々な表現を探す中で様々な角度から俯瞰して見つめることは、時間はかかるけれどそのときの自分を励ますことにつながるのではと思います。

そんなことを思いながら、わたしはわたしの思う方法でこれからも語っていけたらと思います。
”サバイバー”と”サバイバー以外”の溝を少しでも埋めることができたら本望です。

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