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言葉の引き出し

こんばんは、ただいま深夜1時45分です。気がついたら私も大学3年生。書き始めた時は1年生だったのに、時の流れは早いなぁという気持ちでいっぱいです。この3年間で四季がよりいっそう早く流れるようになったなぁと思います。

今日note書きたいなぁと思ったのは、私が3年生にしてやっと重い腰をあげて文学サークルとやらを大学で始めたからです。某SNSの青い鳥さんが主流の世の中で140字におさめられてしまう感情はちょっと心もとない。もうちょっとその人の気持ちを詳しく聞きたいし、話をしたくなる、もっとその人の文字を読みたくなる日々です。140字で簡単に伝えられるのは良いけれど、私は人と人の言葉の交わし合いがやっぱり好きな人間だから、どうしても物足りない。そして140字に慣れてしまっている私は活字をほんとに読まなくなってしまったと思ってサークルを作ってみました。

サークル長になってみて

私のサークルは毎月の本を決めて、部員で同じ本を読み、好きだった言葉や本の感想、時代柄をみて会話をするというのをメインにしています。書くことよりも読書会がメインかもしれません。でもそれがいい。同じ本を読んでいるのに全く違う感想が出たと思ったら翌月の本では部員全員が感想が同じことだってある。ほんとに不思議で面白い。でもそんな同じ感想を持ってもやっぱり部員の言葉選びって微妙に違くて、あぁ、この子はこういう表現をするんだなぁとか、その言い方好きだなとか、やっぱり個性が出るんですよね。コロナ禍でサイレントが求められていた私たちの世代の大学生だからこそ、今そう言う会話ができるのが楽しくて仕方がないんです。そんな中でやっぱり個々の表現の違いを見てると各々が読んできた本のジャンルや好みがよく分かるんですよね。不思議なもんです。私ともう2人の女の子は基本的に人間らしい本やハッピーエンドよりかはバットエンドを好んで読んだり、ちょっと生々しいジャンルの本を読んだりが多いです。他の部員はもうみんな光属性。圧倒的に多いハッピーエンド。だから表現の仕方も解釈の仕方も変わってくるんですよね。面白かったのが江國香織さんのデュークを読んだ時。ネタバレは嫌なので深くは書きませんが、受け入れられる派、素敵なお話だね派が半分、受け入れられない派、生理的にダメだったが半分でした。解釈も何通りかありました。サークル長としてはもうニマニマです。部員たちがここから私はこう解釈したよ、私はこう読みとったよってずっと話してるんですよ。大学に出す報告書にはおさめられなくて書記に苦労をかけました。ごめんなさい。こんな感じでサークルをしていると部員それぞれの言葉選びや考えが愛おしくて仕方がない。そして自分が感じ取ったことを上手く言葉に表せなくてちょっとやきもきしている部員を見るのも楽しいです。言葉の引き出しってあるようでなくて、あってもなんとなく似たり寄ったりなんですよね。他の子が別の言葉で表現した時に、それ!それが言いたかった!と部員の顔が明るくなるのもまた一興です。

私は本が全てでは無いけれど、同い年で本を多く読んでる人はやっぱり言葉の引き出しが多いな、私にはその引き出し無かったなと思う機会が増えました。言葉が簡略化、140文字の感情になっていく世の中で自分の言いたいこと、伝えたいことを相手に伝える場面にぶち当たった時、私はどれくらいの言葉で相手になにが伝えられるんだろうとちょっと考えた深夜。言葉を使い、日本語を話す私たちだからこそ言葉を大事にしていきたいなと思います。

引き出し増やすために最近今まで読まなかったエッセイや短篇小説集を読み始めました。日本語っていいな〜って思いながら読んでます。

皆さんの毎日にも素敵な本と言葉が溢れていますように。



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