「4歳の壁」が教えてくれたこと【#我慢に代わる私の選択肢】

たまたま、その日は息子の誕生日だった。

一年前のある週末。私は夫と息子と一緒に、幼稚園と並行して通っている療育センターに来ていた。担任の先生との面談のためだ。

最近の療育の振り返りと今後の計画。予定していた話が一通り終わったあと、私は先生に、最近息子との生活がつらくて、と切り出した。

ちょっとした愚痴のつもりだった。つらいのは間違いなかったが、そこまで切羽詰まっていた自覚はなかった。なのに、話しだしたら止まらなくなった。

ママ本当につらそうだから、と先生がソーシャルワーカーさんを呼び、事情を説明してくれた。ソーシャルワーカーさんからは、息子と離れてリフレッシュできる時間を増やすべきだ、と言われた。そして、児童発達支援の事業所や入所施設に受け入れ可能かあたってみること、そして、緊急事態だからと、児童相談所へ相談することを提案された。

児童相談所、という言葉が出た辺りから私は泣いていた。話しているうちに気持ちがたかぶって、というのもあった。ただそれ以上に、我が子の誕生日にこんな話をしていることが悲しかった。

笑顔で祝ってあげるべき日に、なんで私は泣きながら息子をどこかに預ける話をしているんだろう。涙が止まらなかった。

その横で息子は、楽しそうにおままごとのケーキを皿に盛りつけ、その場にいる大人ひとりひとりに配っていた。


「4歳の壁」


成長の証ですよ、と幼稚園の先生は言った。

療育センターでの出来事からさかのぼること数か月。急に息子の問題行動や反抗的な態度が目立ち始めた。

急激な心身の成長により起こる年中特有の不安定な時期、いわゆる「4歳の壁」だ。

思い返せば、上の子が年中だったときも悩まされた。ただ、発達が遅く年相応のコミュニケーションが取れない息子の「壁」は、さらに難易度の高いものに思えた。

特にきつかったのが「帰宅拒否」だ。一旦外出すると、とにかく帰りたがらない。無理やり抱きかかえて帰宅すれば、「おさんぽいきたい」と長時間泣きわめく。ならば少し思い通りにしてやれば気が済むのかと散歩につきあってみるが、歩けども歩けども、まったく気が済んだ様子を見せず。夕食の準備もしなくてはいけない。時間切れになり結局は抱きかかえて帰ることになる。

そんな日が続いて心身ともに疲れ果てていた。いくら成長の証と言われても、つらいものはつらい。


私の変化と「壁」の終わり


療育センターでつらさをぶちまけた日から、自分の中で何かが変わった。

まず、私は自分が思っていた以上に限界だったのだと自覚した。そして、今まで固く結べていた我慢の糸が結べなくなってしまった。

誰かに泣きつくこと、甘えることを久しぶりに思い出したからなのかもしれない。ひとりで頑張って何かをする、ということを少しずつやめていった。


夫と上の子に対しては、小さなSOSを頻繁に出すようになった。

夫にはこれまでも休みの日に息子を連れ出してもらうなどしていたが、それに加えて、療育関係の書類書きなど雑事の分担もお願いした。分担できない作業ももちろんあったが、こういう細かいやることがあるんだと知ってもらうだけでも気持ちが軽くなった。

上の子には家事の戦力として協力してもらった。頼みすぎると嫌がられてまた別のストレス源になるので、そこはタイミングを見計らいながら。


息子に対しては、こちらの言うとおりに動いてくれることを期待するのをやめた。声かけは変わらずにするが、聞いてもらえないことを前提に、言うことを聞かせる努力ではなく自分のストレスを最小限に抑える努力をした。

外出時は時間にかなり余裕を持って出発したし、「帰宅拒否」に対しては、息子が幼稚園や療育に行っている間に夕食やお風呂の準備を済ませることで、とことんつきあえる態勢を整えて臨んだ。それはそれで大変ではあったが、息子という他人をコントロールするより自分をコントロールする方がよほど易しかった。


療育センターでの助言により通所先を増やしてひとりの時間を確保できたこともあり、負担感は徐々に少なくなっていった。もう私は大丈夫、なんとかやっていけそう、と思えるところまで気持ちが回復していた。


そんな中、突然その時はやってきた。春休みに入る前の日、歯医者で診察を嫌がって大暴れしたのを最後に、息子がぱたりと落ち着いてしまったのだ。

少し前まで先の見えないトンネルにいたのが嘘のようなあっけなさで、彼の「4歳の壁」は去っていった。


良き伴走者であるためのカード


子どもは自分のタイミングで成長する。今回のことに限らず、今まで子育てしてきて何度も思い知らされたことだ。

親の役割は、子どもの何かを変えることではなく、子どもが自分で変わるのを助け見守ること。それなのに、子育てが大変であればあるほど視野が狭くなり、自分の我慢や努力によって我が子をどうにかしようという発想になってしまう。

子育ては長期戦だ。その中には、もちろん「我慢の時期」や「頑張りどき」もあるだろう。ただ、長期戦を通して大事になってくるのは、我が子の良き伴走者であるための自分自身のメンテナンスなのかもしれない。

私を楽にした「小さなSOSを出す」「子どもを変えようとするのではなく自分の行動を変える」という選択肢は、これからも自分の心身のコンディションを整えるために役立つカードになると思っている。「大変だったけど落ち着いて良かった」で終わらせない。今後に活かしたい。

子どもには負けられない。親も成長するのだ。次の「壁」は、レベルを上げた私が受けて立つ。

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