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息子の発達と成長

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3歳の時に軽度知的障害と自閉傾向の診断を受けた次男の、発達や行動に関する記事です。経験したこと、感じたこと、現在困っていること、将来への不安と希望、など。
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記事一覧

あっちもこっちも踏んばりどき

「お宅の次男さん最近ちょっと目に余るので、お母さん学校まで見に来てもらえませんか?(意訳)」 ・・・とのお言葉を先生よりいただきまして。ここ数日、ずっとではないですが学校で息子に付き添っています。 もともとがすごく自由人な子なので、先生から学校での様子を聞いていてもあまり気にしていなかったんです。前の学年のときも、支援級の先生に見守られながらのびのびやっていて、そんな中でも成長が見られていて。学年が上がって環境も変わったし、落ち着くまでは多少不安定になるのもしょうがないよ

傘差してならんで歩くその距離に

傘なんて2~3歳くらいで使えるようになると思うんですが、うちの次男は4歳になっても5歳になっても断固として拒否していました。 もちろん使えるようになってほしくて、それはもう何度も声をかけました。雨の日の幼稚園の行き帰りは必ず彼の傘も持って。でもいつも差さないし、閉じた傘を持つことすら嫌がるから、傘はつねに私の手首。 何がストレスって、手首にかけた傘が濡れた地面にべちゃっと落ちるとき。かがんで拾うのも嫌だし、拾おうとして他の荷物までべちゃっと落ちてしまったときにはもう、スト

たのしかったよ またあおう

古いカレンダーの裏いっぱいに、次男が文章を書いていました。 週末と学校の代休日を利用して私の実家に滞在中、長男が体調を崩してしまって。自宅に帰る日の前日になっても、次の日に長距離移動に耐えられる状態になっているのかはっきりしない状況でした。場合によっては私がいったん次男だけを連れて帰り、夫に託してから実家に戻ることも考えていました。 自閉症の特性からイレギュラーなことに弱く、予定の変更は前もってしっかり知らせておかないと気持ちが崩れてしまう次男。 お兄ちゃんは一緒かもし

私の記事が、不安なあなたに寄り添えていますように

2022年の「#noteまとめ」。なにげなく自分の記録を開いてみてめちゃくちゃ驚きました。 「2022年によく読まれた記事」。1位と2位の記事は、たくさんスキをいただいたという認識もあり、納得だったのですが。 想定外だったのは3位。これは私がnoteを開設して、自己紹介の次に書いた記事。投稿したのは2020年9月です。2020年の記事が今年3番目に読まれていたの?! 私には息子が2人いて、下の子は幼稚園入園前に軽度の知的障害と自閉傾向があると診断されました。 私のno

「できない」「わからない」から始まる

小1の次男は学校の勉強が大好き。 先生もその学習意欲をほめてくださるし、家でもすすんで宿題に取り組む。翌日の時間割を合わせるのも楽しそう。 でもひとつ大きな壁があって。それは、答えがわからなかったり間違ってしまったりしたとき。 「できない」「わからない」がどうしても受け入れられない。常に「ひゃくてん」、常に「はなまる」でなければダメなのだ。 自分の経験を振り返ると、勉強、特に試験勉強って、「できない」「わからない」を探すことから始まると思う。 不正解だった問題を正解

親になるという重責

子どもが生まれる前、親になることが怖くてたまらなかった。 自分とは別の意思を持つ人間の行動に責任を持ち、命を守る。この重責を背負い続けるなんて私にできるんだろうか、と思っていました。 子どもが生まれ、後戻りできない日々を慌ただしく過ごすうち、それが日常になり、いつの間にか重責と感じることは少なくなっていました。 先日、自宅マンションの窓から次男が転落したのではと思わせる出来事がありました。 私が風呂から出てくると、次男の気配がない。家族に聞くと、そこの部屋にいると思う

夏休みが試練だなんて今年は言わない

今春小学生になった息子。このところ絶好調のご様子である。 問題がないわけではない。ほとんどの時間を所属する支援学級で過ごしており、交流級への参加はまだまだ厳しそう。また、かんしゃくを起こすこともあるらしい。 それでも、日々の様子や先生の話からは、彼が小学校・小学生というものを目いっぱい前向きに楽しんでいるのが伝わってくる。 家での遊びも大きく変わったと思う。 以前noteに書いたサッカーごっこもそのひとつだ。 そして、好きなお絵描きでは、描くものの変化に成長が見られ

この子がボールを蹴る姿なんて一生見られない気がしていた

ある日の夕方。夕食の準備をしようとキッチンに立った私。リビングで何やら遊んでいる息子を何気なく見ていて、固まりました。 リビングの床には柔らかいゴムボール。全然使っていないのでふだんは物入れにしまっているのですが、私が他の物を出したときに転がり出たのをそのままにしていました。 息子、どこからか持ってきたごみ袋を広げ、口が横を向くようにしてセッティング。ゴムボールを蹴りながらごみ袋の方へ向かいます。少し苦労しながらも足だけでボールを袋に入れると、「やったー。100てん!」と

小1子連れのお試しサッカー観戦

家族でサッカー観戦に行く。 私が地元のJリーグクラブである川崎フロンターレにはまり、等々力陸上競技場に通い出した昨年からの、ひそかな夢だ。 ネックとなっているのは、この春小学生になった次男だ。どう転んでも2時間おとなしく座っていられる人ではない。 「0歳からのファミリーコンサート」的な子連れのためにあるような場ですら連れてきたことを後悔させる自由人ぶり。苦い思い出には枚挙にいとまがない。 等々力に通い始めた頃。子どもを夫に託して試合を観た帰り道、子連れサポーターの多さ

心が溶かされた、入学式。

「もうすぐ一年生になるんだよ」「ランドセルをしょって小学校に行くんだよ。お兄ちゃんと一緒のところだよ」「給食も楽しみだね」・・・。春休みのあいだずっと次男に声をかけていた私。しかし、私こそがわかっていなかった。 在宅の仕事に追われていた3月。その合間に書類書きや持ち物の準備。日々焦りながらやるべきことをこなしていた私には、彼が小学生になるということに対して感慨にふける余裕はなかった。実感が湧いていないことにも気づいていなかった。 入学式の前夜、布団に入った後でそれはやって

「がんばったね」その優しい言葉に思うこと

次男が卒園した。 幼稚園と並行して療育センターに通っていた彼の、ふたつの卒園式。 式のあいだは静かだったものの、その我慢が退場後に爆発した幼稚園の卒園式。 開式直後から終始大荒れだった療育センターの卒園式。 ・・・次に控えるのは小学校の入学式。今から覚悟している。 そんな息子に対し、多くの先生からかけてもらった言葉が「がんばったね」である。特に療育センターの卒園式では、声をかけてくれたすべての先生がこの言葉を言ってくださったのではと思うほど、たくさんの「がんばったね

ふたつの卒園式を終えて

次男の卒園式が終わった。 幼稚園の卒園式。先生に付き添われながらも静かに座っていた。証書を受け取りに行くときは恥ずかしいのかくねくねしていたけれど、逃げなかった。 式が終わり、子どもたちは先に教室に戻り、親たちは会場に残り先生の話を聞いたりスライドを鑑賞したり。その後、子どもたちが待つ教室へ移動。 移動・・・したものの、我が子の姿を見つけることができない。先生いわく、教室に戻ってから大かんしゃくを起こし脱走、今は他の先生と外にいるので、戻ってくるまで待ちます、と。 流

成長よりも大切なこと

幼稚園のお迎えのときに先生から聞いたのですが、息子が園庭でお弁当を食べたいと言い出したそうです。 担任の先生に了解をもらって、だれもいない園庭で、加配でついてくださっている先生とふたりきりでお弁当を食べたとのこと。 そして、食後はそのまま先生と、だれもいない園庭で遊んでいたそうです。 大好きな先生との園庭デート。きっと、普段他の子たちがいる中で先生と過ごすのとは違う特別感があったことでしょう。 発達に遅れがある息子。年中の終わり頃までは、幼稚園ではとにかく周りの子から

「4歳の壁」が教えてくれたこと【#我慢に代わる私の選択肢】

たまたま、その日は息子の誕生日だった。 一年前のある週末。私は夫と息子と一緒に、幼稚園と並行して通っている療育センターに来ていた。担任の先生との面談のためだ。 最近の療育の振り返りと今後の計画。予定していた話が一通り終わったあと、私は先生に、最近息子との生活がつらくて、と切り出した。 ちょっとした愚痴のつもりだった。つらいのは間違いなかったが、そこまで切羽詰まっていた自覚はなかった。なのに、話しだしたら止まらなくなった。 ママ本当につらそうだから、と先生がソーシャルワ