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ふたつの卒園式を終えて

次男の卒園式が終わった。


幼稚園の卒園式。先生に付き添われながらも静かに座っていた。証書を受け取りに行くときは恥ずかしいのかくねくねしていたけれど、逃げなかった。

式が終わり、子どもたちは先に教室に戻り、親たちは会場に残り先生の話を聞いたりスライドを鑑賞したり。その後、子どもたちが待つ教室へ移動。

移動・・・したものの、我が子の姿を見つけることができない。先生いわく、教室に戻ってから大かんしゃくを起こし脱走、今は他の先生と外にいるので、戻ってくるまで待ちます、と。

流れる息子待ちの時間。心のこもった式に溢れた感動の涙はあっという間に引っ込んだ。ただ、どんな彼であっても落ち込まないと決めてきたから、私は比較的冷静にその場にいられた。

息子、その後無事に帰還。写真撮影ののち解散。親としてはゆっくり写真を取ったり、先生ひとりひとりにきちんとお礼を言ったりしたかったけれど、見るからに限界な彼が気になって、名残を残しながら幼稚園を後にした。


日を置かずして、療育センターの卒園式。こちらは開式早々大荒れの息子。羽交い締めにされ、せっかくのフォーマルな服装からお腹を出しながらの卒業証書授与。とどめには、授与された証書を投げ捨てる。

どんな彼であっても落ち込まないと決めていたけれど、さすがに多少複雑な気持ちだった。それでも、あるがままの姿を受け入れたかったから、保護者席からただその様子を見ていた。

退場の際、それまでの荒れ具合が嘘のように機嫌良く会場を後にする彼。ああ、心底嫌だったんだな、と思いながら見送った。


ふたつの卒園式。式のあいだ、3年間のことを思い出していた。そして、この場にいない先生方のこと。息子の卒園を見届けてほしかった、でも退職や人数制限のためにそれが叶わない先生方の顔が浮かんだ。

どれだけの人に助けられてきたのだろう。どれだけの人が、息子を、抱っこしてくれて、おんぶしてくれて、肩車してくれて、膝に座らせてくれて、手をつないでくれて、頭をなでてくれて、かわいいと言ってくれたのだろう。本当に恵まれていたと思う。


一般的には幼稚園や保育園が初めての社会と言えるのかもしれない。ただ、私の心境としては、小学校こそが初めての社会だ。

上の子の経験から絶対的な信頼を置いている先生方と、大なり小なりその教育理念に共感して子どもを通わせる親御さんで構成される、幼稚園という社会。そこでは、ありのままの姿や気持ちを受け入れてもらえた。

これから息子が出る社会に同じものを求めてはいけない、と思う。これから先出会う人が皆同じような優しさを無条件で与えてくれることを期待しては、きっといけないのだ。


怖いけど、先へ進む。

つらくなったら帰ればいい。

幼稚園と療育センターは、ずっと「帰る場所」でいてくれるはず。

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