茶番「翔んで埼玉」が不覚にもグッときた~ダンダダさいたま~
< 目次 >
①壮大な茶番劇には違いない
②虚像と現実が繋がる
③エンディングのインパクト
いきなりだが…
私は二階堂ふみが大好きだ!
映像作品はだいたい観たし、ナマ二階堂が観たくて舞台にも遊びに行った。
映画だと「日々ロック」、「ふきげんな過去」、「リバーズ・エッジ」が特にお気に入り。
当然、現在公開中の「翔んで埼玉」(GACKTとW主演)も気になっていたわけだ。
正直、私はあの昔のヨーロッパ貴族かよ!って服装と髪型の二階堂を観たいのか?という疑問はあった。でもやっぱ二階堂観てーという誘惑に負けて観に行ったのである。
完全に娯楽映画で、あとには何も残らない映画だろうと思っていた。ただ、劇場を後にする時には、不覚にも感動というか、カタルシスを感じてとてもグッときてしまった自分がいた。
その理由を自分の中で消化したくて、絶対伝わらないし消化もしきれないと思いつつ紐解いてみた。
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壮大な茶番劇には違いない
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触れ込みにもある通り、この映画は「邦画史上最大の茶番劇」「空前絶後のディスり合戦」でしかないと思う。
ストーリーは王道だし、そのなかでどんどんネタをぶっ込んでいって観客を楽しませる。
中身なんてない、というか必要ない。楽しいならオールOK。
別に愛のあるイジり方に感動したわけでもない。
全力でバカなことをすることにカタルシスを感じたわけでもない。
じゃあ何が理由でグッときてしまったのか?
悩んだ末にたどり着いた答えは「虚像と現実が繋がった時のインパクト」だった(絶対伝わらねー)。
※以下若干のネタバレを含む※
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虚像と現実が繋がる
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この映画は、虚像の日本で描かれる壮大なフィクションだ。
無駄にきらびやかな東京
戦時中並にひもじい埼玉
東京に媚び売る海とピーナッツばっかの千葉
そして秘境グンマー
物語は虚像の日本で進んでいく。
だが、終盤になるに連れて、それは現実の東京や埼玉に繋がってくる。
いかにもフィクションな風景ばかりだったのが、気づいたら現実の日本の景色ばかりになっている。
元々物語は、現代パートで島崎遥香がラジオから流れる都市伝説(二階堂&GACKTによるフィクション)を聞いているという虚像と現実が分けられた設定だった。でも映画の最後ではしれっと一緒くたになっている。
現実から程遠いフィクションとして距離を置いて観ていたはずなのに、知らず知らずのうちに引き込まれていたのだ。
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エンディングのインパクト
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それだけでは、インパクトとしてはまだ足りない。
グッと来たのはどのタイミングだったか。
それははなわの「埼玉県の歌」がエンディングテーマで流れたときだ。
完全にこれにもっていかれた。
本編が終了した時点で虚像と現実は繋がっていた。
だが、100%現実を歌ったエンディングテーマが流れたタイミングで、「映画という虚像」と「観客という現実」が瞬時に繋げられ、さらに引き込まれてしまった。
それにどこかグッときて、茶番劇のくせに急に感情移入してしまったのだ。
エンディングテーマまで含めて計算された作品だった。
どうやらこれが私の謎の琴線に触れた理由らしい。
うん。スッキリしたけど、改めて文章にすると謎な理由だな。理解してもらえるとはとても思えん…
まあとりあえず言いたいのは…
思っていた通りの映画だったのにグッときたし、二階堂は可愛い!
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大好きな映画に「キサラギ」がある。
「キサラギ」が好きな理由も、「翔んで埼玉」と同じだというのは、これを考えている最中にずっと思っていたが、ようやく腑に落ちた。
これも本編が終わってからのエンディングテーマに完全にやられてしまった作品。
おんなじカタルシスを感じれるような映画ほかにないかなー。
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