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第2章 独学者たちの物語(その2)

3.数学者や自然科学者にも独学者
独学の数学者たち
学者では、数学に独学者が多い。実験器具などが必要なく、座学でできるからだろう。
最も有名な「素人数学者」は、ピエール・ド・フェルマー(1607年-1665年)だ。
フランスのトゥールーズで弁護士の資格を取得し、そこで法律家として一生を過ごした。
仕事のかたわら数学を独学で学び、1人で研究を続けて、確率論の基礎を作り、解析幾何学を創設した。
「フェルマーの最終定理」と呼ばれるようになった有名な命題は、彼が書き残してから360年もの長期間にわたって、誰一人として証明も否定も成功せず、数学の最難問の1つであり続けた。

フェルマーが数学に目覚めたきっかけは、古代ギリシャの数学書、ディオファントスの『算術』に出会ったことだとされる。それから、趣味として数学の研究を始めた。フェルマーの最終定理も、この書物の欄外に、さまざまな書き込みとともに残されたものだった。

ゴットフリート・ライプニッツ(1646年-1716年)は、1684年に微積分法の論文を発表し、アイザック・ニュートンとその先取権をめぐって争うこととなったドイツの高名な数学者だが、独学だ。
彼は正規の学校教育を受けているが、学院の教師が凡庸だったため、ライプニッツが教師から学ぶことはほとんどなく、彼は独学によってさまざまな学問を学んだという。


12歳のときには、独学でラテン語を習得した。1661年にライプツィヒ大学に入学して、数学と哲学を学ぶ。1666年にアルトドルフ大学に移り、翌年に法学博士号を取得した。彼の本職は政治顧問なのだ。

21歳で逝ったエヴァリスト・ガロア(1811年-1832年)は、群論の基礎を生み出し、現在の代数学を作ったフランスの天才数学者だ。彼は、名門エコール・ポリテクニーク(理工科学校)を受験したが、面接で不遜な態度をとったために落とされてしまう。結局、5年間しか数学を学ばなかった。


レオポルト・インフェルト『ガロアの生涯―神々の愛でし人』(日本評論社、1969年)は、彼の短い生涯を描いた名著だ。

シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887年-1920年)は、インド人の数学者だ。大学に入学したが、授業に出席しなかったため試験に落第し、退学させられた。商社の会計係として勤務しながら数学を独学で学び、その成果を、ケンブリッジ大学のゴッドフレイ・ハロルド・ハーディに手紙で書いた。ハーディは、最初はまともに受け取らなかったが、やがて、その中にきわめて水準の高いものがあるのを見出し、驚愕した。
ハーディによってケンブリッジ大学に招聘されたラマヌジャンは、ケンブリッジ大学の数学者たちを驚かせる独自の成果を挙げた。


独学の自然科学者
自然科学にも、独学者がいる。
古くは、近代物理学の基礎を作ったガリレオ・ガリレイ(1564年-1642年)だ。彼は、ピサ大学の医学部中退で、独学で物理学をマスターした。


マイケル・ファラデー
(1791年-1867年)は、イギリスの化学者・物理学者。貧しい家庭に生まれたため、小学校中退という教育しか受けておらず、高度な数学などは理解できなかった。

14歳から、近所の製本・書店業者に徒弟奉公した。その間に、製本に回される科学の本を多数読んだ。科学への興味を強め、特に電気に興味を持つようになった。本に書かれている実験を試したりして、独学で物理学と化学を学んだ。1812年に王立研究所でのハンフリー・デービーの講演を聞いたことをきっかけにして、翌年その助手となった。


電磁気学と電気化学の分野で多くの業績を残した。電流の磁気作用から電磁気回転を作る実験に成功した。さらに、電磁誘導を発見した。また、電気分解に関する法則を見出した。電場、磁場、力線の概念を導入して、ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831年-1879年)の電磁理論への道を開いた。

オリヴァー・ヘヴィサイド(1850年-1925年)は、イギリスの物理学者・数学者。正規の大学教育を受けず、研究機関にも所属せず、独学で研究を行った。16歳の頃に学校をやめ、その後、18歳まで独学で電信技術と電磁気学を学んだ。その後、電信会社で通信士の職を得、主任通信士となった。しかし、聴覚障害のために退職し、以後は一切の職につかず、自宅で研究に打ち込み、孤高の科学者として一生を終えた。

フランスの博物学者ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル(1823年-1915年)は、両親が職を転々としていたため幼い頃から貧乏な生活を余儀なくされていた。そして、幼少期から、独学でさまざまな分野の勉強を続けていた。


日本にも、独学の科学者がいる。万能学者として知られる南方熊楠(1867年-1941年)は、大学を卒業していない。また、植物学者の牧野富太郎(1862年-1957年)は、小学校中退だ。

独学の発明家
発明家には独学者が多い。
最も有名なのは、アメリカの発明家・起業家トーマス・エジソン(1847年-1931年)だろう。生涯に2332件もの特許を取得した。蓄音機、電気鉄道、鉱石分離装置、白熱電球、活動写真等々。

小学校に入学したが、教師と騒動を起こして、3カ月で中退してしまった。このため正規の教育を受けられず、図書館などで独学した。新聞の売り子として働いて得たわずかな金を貯め、自分の実験室を作った。16歳の頃には電信技士として働くようになり、さまざまな科学雑誌を読んで学び続けた。その原動力となったのは、「知りたい」という欲求だった。

22歳のときに株式相場表示機を発明して特許を取得し、巨額の金を儲けた。1877年に蓄音機の実用化に成功し、ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立した。1889年にエジソン・ゼネラル・エレクトリック会社を設立した。この会社は、その後ゼネラル・エレクトリック社となり、「電気の時代」を切り開いた。現在でもアメリカの主要企業の1つである。

電話の発明者アレクサンダー・グラハム・ベル(1847年-1922年)はスコットランドの生まれ。父は大学教授であり、彼の一族は長年、弁論術の教育にかかわってきた。幼少期には、自宅で父から教育を受けた。エディンバラのロイヤルハイスクールに入学したのだが、15歳で退学した。エディンバラ大学に入学、その後、カナダに移住。
彼は兄とともに、人間の声を真似てしゃべる機械オートマタを作ろうとした。そして、音叉を使って、共鳴など音響伝達について研究するようになった。後に大学で助手や講師の職を得たが、空いた時間で最小限の実験器具を使って、自分だけで電話についての実験を続けた。生涯を通じて、科学振興と聾者教育に尽力した。

動力飛行機の発明者ライト兄弟(ウィルバー・ライト:1867年-1912年、オーヴィル・ライト:1871年-1948年)も、高等教育は受けておらず、独学で航空力学と飛行技術を学んだ。自転車店を営むかたわら、得意の工作技術を駆使して、グライダーや飛行機を自作していった。1901年には、風洞実験装置を開発している。これを用いて実験を行い、さまざまな形の翼に働く力を計測した。そして、航空力学の新たな計算式を導き出し、翼の形状を最適化することに成功した。



1909年に兄弟はライト社を創業した。その後、同社はグレン・L・マーティン社と合併し、現在のロッキード・マーティンとなった。

ヘンリー・フォード(1863年-1947年)は、「自動車の父」と呼ばれる。自動車は、それまではごく一部の人しか買えなかったが、アメリカの中流家庭が購入できるT型フォードを開発・生産し、自動車交通に革命をもたらした。
彼も大学教育は受けておらず、独学で機械工学を学んだ。ミシガン州の農家に生まれ、1879年に高校を中退し、デトロイトで機械工となった。1891年にエジソン電気会社の技術者となり、1893年には主任技師となった。そこで自分の時間を使うことができるようになったので、内燃機関の実験を進め、1896年に第1号車の製作に成功した。

1903年にフォード・モーター・カンパニーを設立した。その後、ライン生産方式による自動車の大量生産を始め、1913年にはベルトコンベアによるライン生産方式を導入し、生産能力を大幅に強化して低価格化を実現した。

4.独学の芸術家
ゲーテや鷗外も文学者としては独学
芸術分野での独学度は、分野によって大きな差がある。音楽や美術では、師についたり学校で学ぶ場合が多い。
それに対して、文学では、自分で方法を習得することのほうが普通だ。そして、ワイマール公国の枢密顧問官だったヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年-1832年)や、日本の陸軍軍医だった森鷗外(1862年-1922年)のように、本業は別にあった場合が多い(ついでに言えば、ゲーテは、若いときから自然科学に興味を持ち、人体解剖学、植物学、地質学、光学などの著作・研究を残している。とりわけ、1810年に発表された『色彩論』が有名だ。ゲーテは、これらの分野も独学したわけだ)。


ただし、音楽や美術にも独学者がいる。
ピアニストでは、クラウディオ・アラウ(1903年-1991年)が独学だ。南米チリ出身で、20世紀を代表するピアノの巨匠と言われる。
アラウは、母のピアノを聞くうちに楽譜の読み方を習得し、言葉を覚えるよりも先に音楽を覚えたとされる。そして、ピアノを独学で学び、5歳で最初のリサイタルを開いた。ベルリンのシュテルン音楽院で、マルティン・クラウゼに師事したが、ピアニストになってからも、他人に影響されず、自立することを重んじたそうだ。

ルソーとダーガー
絵画ではアンリ・ルソー(1844年-1910年)が独学だ。高校中退後、法律事務所に勤め、軍役を経て、パリ市の税関職員になった。仕事の合間に絵を描いていた。

正統的芸術家の範囲には入らないアウトサイダーだが、ヘンリー・ダーガー(1892年-1973年)は、究極の独学者と言えるだろう。彼は、世にも奇妙な天涯孤独の「画家」(作家?)だ。

歴史上書かれた最も長い小説は、彼の『非現実の王国で』だと言われる。正式なタイトルは、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』。ここに描かれているのは、目眩めく非現実の世界だ。

彼は正式な教育を受けておらず、すべてを独学で学んだ。執筆は約60年間にわたり、亡くなる半年前に老人ホームに収容されるまで、誰に知られることもなく、シカゴのアパートの一室で書き続けた。300枚の挿絵と1万5145ページのテキストが残されている。挿絵は、ニューヨーク近代美術館で、ピカソの横に飾られているそうだ。

あまりに長いので、外国語版を含めてテキスト全文が刊行されたことはなく、最後まで完読した人は誰もいないと言われている。

5.独学への先祖返りが起きる
ノスタルジーではない

以上で述べた人たちの多くは、20世紀初め頃までの人だ。「彼らが成功できた時代とは背景が違うから、現代には通用しない」という意見があるかもしれない。では、彼らの成功物語は、「古き良き時代の牧歌的挿話」であり、単なるノスタルジーにすぎないのだろうか?

20世紀になって大組織の時代になると、社会の条件が大きく変わったことは間違いない。学歴社会が形成され、高学歴でないと組織に入って仕事をすることが難しくなった。組織化、官僚化が進めば、独学だけで専門家集団のトップに立つのは、難しくなる。

また、技術開発に多額の資金が必要となり、知の制度化が進むと、個人発明家の役割は限定的になる。
このような側面があることは、否定できない。

しかし、だからと言って、彼らの経験が現代社会で無意味だというわけではない。つぎの点に注意が必要だ。

独学の人は権威にめげなかった
第1に、この時代においても、高学歴の人々が勢力を持っていたことは事実だ。

ライト兄弟
が飛行に成功したとき、「空気より重いものは飛べない」と多くの学者が「論証」した。「素人が何をくだらないことをやっているのか」というわけだ。
しかしライト兄弟は、それに屈せず、開発を進めた。その信念が重要だ。

ファラデーは、イギリスの階級社会の中でしばしば差別的な扱いを受け、科学の道をあきらめようと考えたことがあったと言う。
ヘヴィサイドも独学者であるために、苦労をしている。とくに、研究費について、慢性的な資金難に悩んでいた。付近の住民からは狂人扱いされていた。彼の業績のほとんどは、彼の死後に認められたものである。

シュリーマンも、専門の考古学者たちからは認められなかった。それどころか、激しく嫉妬され、叩かれ続けた。

独学の人々は、こうした環境にめげなかったというのが重要な点だ。彼らは権威ではなく、自分の力を信じた。
独学者だからこそ、自由な立場で新しい発想ができた

右に述べたことを逆に見れば、「独学者だからこそ新しい発想ができた」とも言える。
常識にとらわれない無手勝流で、「常識的な考えにとらわれている人なら、やらないことを試みる」ということだ。
ライプニッツは、次のように言っている。「独学のおかげで、空虚でどのみち忘れてしまうような、また根拠ではなく教師の栄誉を意味するような事柄から免れ、どの学問でも熱心に諸原理に到るまで探求することができた」。
シュリーマンが伝説を信じてトロイアの発掘を行ったのも、彼が素人学者だったからだろう。専門の考古学者であれば、「トロイアはおとぎ話」と考えているから、発掘になど出かけないに違いない。

ベルが音叉を使っての音響伝達の実験を行っていたとき、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツがすでに音叉を使って母音を生成する研究を行っていることを知った。彼は、その論文を熟読したが、ドイツ語の理解不足から誤解をし、その誤解がその後の音声信号伝送法の土台となった。ベルは後日、「もし私がドイツ語を読めたなら、私は実験を始めなかったかもしれない」と述べている。独学だからこそ、無手勝流の研究を進め、それが成功したというわけだ。

因習的な考えから脱却して、新しい発想で考える。閉塞的な日本の現状を打破するには、こうしたことこそが最も重要だ。

新しい時代が始まっている
もう1つ重要なのは、新しい動きが始まっていることだ。
時代の変化が激しければ、独学を続けないかぎり、最先端に追いつけない。これはすでに述べたことだ。

また、大きな変化が起これば、これまで誰も手をつけていない世界が広がる。そこで新しい事業を起こすには、独学で身につけたノウハウで手探りで進むしかない。

それを象徴するのが、現代中国の巨大IT企業、アリババ集団の創始者ジャック・マーだ。彼は、大学受験に2度失敗し、三輪自動車の運転手をしていた。その後、英語の教師となり、1995年にたまたまアメリカへ行ったときにインターネットの将来性に感激し、1999年に会社を設立したのだ。そして、まったく独力で、世界最先端のIT企業を作り上げた。

ITは、知の制度化を大きく破壊している。大学で学んだ知識は陳腐化してしまっている。他方で、ウェブを見れば、最先端のことまで分かる。
制度化された現代の最強のギルドである医学でさえ、最先端の分野では、変化から免れない。例えば、AIによって自動診断が可能になると、診療の分野にデータサイエンスの知識が必要になり、伝統的な医学だけでは不十分ということになるだろう。

そして、AIの時代になれば、知の世界はさらに根本的な変化にさらされる。それによって、独学への先祖返りが起きるだろう。


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