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愛しても愛せなくてもいい

ここ数週間で爆発的に周辺のカエルがケロケロケロッピしはじめた。
おうち時間も長いまま。すでに衣替えができたなんて異常事態。
なので昨年の夏にしたためたままだった記事をここらで虫干し。

★★★

2月に乳歯を失ってから、笑顔がぎこちない。鏡に映る歯抜けフェイス。
5月に髪を切ってから、立ち姿に自信が持てない。この夏、湿気にうねり倒したボブ。
嗚呼、自尊心の低下。

自分の顔が割と好き。
鼻は上向いてるし、歯並びはあれだけど。
黒目がちでにじむお人好し感。パーツの配置はまぁ悪くない。みたいに。

好意の念は視線に込める。できれば素直で正直でいたい。
そういう時の顔が(直に見たことないけど)けっこう好き。
自信過剰。「やべーやつだ」と思われたくない。
だから友人にも親きょうだいにも話したことはない。
この世で唯一心を許している夫には「今日もなかなか良き」と述べる。
当然「でた。根拠のない自信」と苦笑いされる。

だけど【根拠のない自信】がさまざまな局面で勇気をもたらしてくれた。
たとえば、遠くに住む片思い中の相手(夫)に思い切って会いに行くとか、
コンテストのカットモデルをやってみたりとか。
視線に込める人当たりの良さだけを極めて、なんとか生きのびてきた。
いつも【根拠のない自信】が助けてくれた。

・・・いや、根拠はあるのか。
根拠というよりも、ある種の呪いが私の心にへばりついている。

2つ上の姉が、小学生のとある時期から私に言ってきた言葉。
【ゆきちゃんは可愛くていいな】
姉から妹への情愛の言葉のようで、実はちょっと違う。
そのあと【私はブサイクなのに】と毎回続くからだ。
姉は姉なりに悩んでいたのだろう。自分の顔を好きになれない姉。

【今日も学校で言われた。妹の方が可愛いねって】
中学生。思春期只中の私には、ビビットに響いた。
【ゆきちゃんは可愛いのに、私は可愛くない】
姉からその話が出ると、正直居心地が悪かった。
えー、そうかな。これ以上の言葉は出てこなかった。
私にとって姉は、ただ姉というだけでなく、友人であり、ライバルであり、憧れだった。
でも姉には姉にしか分からない気持ちを抱えていたはずだ。
だから当時の私には、それ以上何と言えば良いのか見当がつかなかった。

姉の呪文はことあるごとに、私が大学生になっても続いていた。
姉が歪んだ形で褒め続けてくれるので、私の自己愛も歪んだ形で肥大した。
そうか・・・私は可愛いのか。
でも所詮は【誰か】と比べられる価値。
【○○より可愛い】か【○○より可愛くない】か。
ゆがんだ自己愛のもとで、三角座りしてる自分が見える。

盲信はもろく、弱いものだ。
私はとびきり可愛くて、これっぽっちも可愛くない。
シーソーみたいに、上がったり下がったり。
バドミントンのシャトルみたいに、いったりきたり。

それから時が経ち、あの頃そんな風に悩んでいたことさえ、すっかり忘れていた。
目の前の仕事をこなすこと、日々を自転車操業的に回すこと。
それで精一杯だった。自分の容姿のことは二の次、三の次。

この数ヶ月間で歯を抜いて、髪を切っただけ。なのに笑えないなんて。
自分でも狼狽えた。
いい年して、可愛くない私を受け入れられない。
いい年だから、このまま年をとることが怖くてうずくまっている。

誰か私をまっすぐ褒めて。ただここにいることを。
比較じゃなくて、私だけの価値を。

歯が抜けても、髪を切っても。シワやシミが増えたって。
あなたには、あなただけの可愛らしさがあるよって。
いつまでたっても可愛くなれない私を。悩んでいたあの頃の姉を。
ぎゅっと抱きしめたい。

年輪を 愛せるように なれるかな(五七五 ゆきのした 夏の夜に詠む)

★★★

以上。
歯と髪の毛をきっかけに、去年の夏の私は盛大に道に迷っていた。
本当にくよくよ落ち込んだ。今思えば、本厄だったからかな。
こもりがちだったことも影響していたかもしれない。
そして、1年経った今。
歯抜けフェイスにも慣れ、にっこり笑えるようになった。
ボブスタイルも、あのまま継続中。なかなか気に入っている。
シミにはトランシーノホワイトを飲んでささやかに抵抗することにした。
私は私。
だけど、比べることも、誰かに憧れることも、落ち込むこともある。
それだって人間らしくてええじゃないか。

そんなわけで、虫干し終わり!
この夏のスローガンは「愛しても 愛せなくてもいい 年輪」でいきましょう。

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