【短編小説】石狩あいロード 1/4【Illustration by Koji】
短編小説「石狩あいロード」の第1話です。
この短編小説はKojiさんとのコラボ企画の作品です。
幸野つみが小説を書き、それに対してKojiさんにイラストを描いていただきました。
全4話。第1話は約3000字。全体で約20000字。
それでは第1話をお楽しみください。
物語の始まりです。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
石狩あいロード 第1話
小説:幸野つみ × イラスト:Koji
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
帰りたい。
心の中で誰かが呟く。
「帰りたくない」
日差しの中で私は呟いた。
八月の終わり、火曜日の朝、小樽から札幌へと向かう海沿いの国道で、私は今、ヒッチハイクをしている。
といっても、親指を立てて道路に手を突き出している訳でもなければ、行き先を書いた画用紙や段ボールを持ってアピールしている訳でもない。ただただ、通り過ぎる車を睨み付けていた。
どこか遠いところへ行ってしまいたい。誰とも関わりたくない。友情も恋愛も知らない。もう、私の人生なんて、どうでもいいのだ。
こんなにも目的地も気力も愛想もない状態でヒッチハイクをしている人は他にいないのではないだろうか。
無計画に市街地を外れるまで歩いてきて、足はすでに疲れてしまっていた。それでもどこか遠くへ行きたいのだ。「誰か乗せろ!」と心の中で喚いていた。でも実際に叫ぶ訳ではないので、誰にも伝わるはずがない。
歩道の縁石のぎりぎりのところに私が立っているのが気に食わないのか、通り過ぎるトラックがクラクションを鳴らす。
耳をつんざくその音が、脳を揺さぶって記憶をフラッシュバックさせる。
静かに夢を見るアンモナイトの化石。チョークの匂い。教室のざわめき。クラスメイトの靴の汚れ。彼の声。今朝家を出る時に、鏡に映った自分の顔。
排気ガスの臭いに息が詰まる。
悲しみ、怒り、諦め……感情の集合体の名前を私は知らず、その扱い方を習った覚えもない。それなのに、栓を押し込もうとしたって無尽蔵に溢れ出てきて胸も頭も満たしていき、破裂寸前までぎゅうぎゅうに埋め尽くす。そうなった時、私はその感情の集合体を、「痛み」と呼んだ。
震える程に拳を強く握り締めると爪が掌に突き刺さる。それでも足りず私は拳で自らの額を殴った。
「痛み」を誤魔化すために、それ以上の痛みを与えるのだ。その痛みのお陰でどうにか、私は私を取り戻す。それが今の私に思い付く精一杯の「痛み」の扱い方だった。
呼吸を整えて、再び行き交う車を睨み付ける。
エンジン音と波の音が言い争いをする中で、私は負けじと敵意剥き出しで微動だにしなかった。
車が巻き起こす風が制服のスカートを揺らす。
その時、一台が急ブレーキをかけ路肩へ寄せて停車した。そして、運転手が車を降りてこちらへ歩み寄ってきた。
止まってくれた……?
私は、意味がわからなかった。
だって、棒立ちの人間が実はヒッチハイクをしているだなんて、運転手からしたらわかる訳がないのだから。
更に、止まった車の種類と運転手の風体が、私の頭を混乱させた。
止まったのは、四輪車ではなく、バイクだった。
しかも、フルフェイスのヘルメットを外したその運転手は、大型のバイクには不釣り合いに見える華奢な女性だった。
「ヒッチハイク?」
女性が軽やかな口調で聞いてきた。心を読まれたような気がして、それまで胸を張っていたはずの私の体がびくりと縮こまった。
「それとも……」
女性はヘルメットを小脇に抱え、反対の手で前髪を掻き上げた。飛び散った汗が朝陽を浴びてきらりと光った。
「飛び込み自殺?」
防波堤に打ち付けられた波が激しく音を立てた。
「ち、違います! ヒッチハイクです!」
私は慌てて否定していた。彼女の言葉が頭の中でがんがん反響していた。
「そっか」
女性は「どっちでもいいけど」とでも言うように興味なさげにへらへら笑っている。
「どこまで?」
「どこでもいい」
私は彼女に腹が立ってきて、力強く言い放った。
「おお恐い。ナイフみたいな目をしてるねぇ」
おどけた彼女の言い草が癇に障り、より一層私は目を細めた。
「いいよ。乗りな」
「……え?」
「何?」
「乗るって、どこに……」
「あれじゃ不満? 自慢の愛車なんだけど」
彼女は目でバイクを振り返って、口の端を釣り上げて不敵に笑った。
そしてそのまま私を置いてすたすたバイクの方へと歩いて行く。
「ね、ねえ、ちょっと……どこまで行くの?」
「どこでもいんでしょ?」
彼女はいたずらっ子のように意地の悪い笑みを浮かべた。私は息を吸い込んで言葉をぶつけようとしたが、返す言葉が見つからなかった。
「あんたそんな格好で事故ったらまずいから、しっかり捕まって。足でバイク挟んで踏ん張ってね」
彼女に指差されて私は自分の服装に目を落とす。制服の夏服。彼女が着ているライダースジャケットとジーンズに比べると、圧倒的に軽装だった。
私は何も言えないまま彼女の方へと駆け寄った。
バイクは黒と銀を基調としているが、所々に使われている朱色が印象的で、その色合いは彼女の性格を表しているように感じられた。
バイクの後方に、黒いボックスが宙に浮かんでいるように見える。よく観察するとそのボックスは金具でバイクに固定されており、その上面、両側面にそれぞれ鞄がくくり付けられている。
「これだけ荷物積んでるのにちゃんと二人乗りできるんだよ。すごいでしょ。あんたのリュックもどうにかなる」
彼女はそう言って、身に着けているウェストポーチを背中側からお腹側に回した。ハンドルに自分のヘルメットをぶら下げ、バイク後方の鞄を手際よく取り外し、ボックスを開ける。中からもう一つヘルメットを取り出すと、それを私の胸に押し付けてきた。
「持ってきて失敗したと思ってたけど、使う機会あってよかったぁ。ちょっと大きいかもしんないけど」
ははは、とマンガに書いたように声を上げ笑うと、再び鞄を固定し、自分のヘルメットを持つ。
そして私の方を振り返った。
私は精一杯怒りの表情を保とうとしていたが、恐らく戸惑いの色を隠すことはできていなかっただろう。
「怖い?」
舐めるな、と思った。そしてようやく腹が据わった。私は目に熱を込め彼女をまっすぐに見た。
「よし。カーブの時はビビんないで一緒に曲がる方向に体を傾けて」
私は慣れない手付きを見透かされないように取り繕いながらヘルメットを被った。しかし、暑苦しい。思わず一度外して、髪を整えて、息を整えて、もう一度被り直す。
彼女は満足げに笑うと自分もヘルメットを装着し、先にバイクに跨った。
「乗って!」
お互いヘルメットを被ったので彼女は大きな声で喋った。
「そう……そこに足乗っけて。リュック大丈夫? OK? よおし。もっとしっかりつかまっていいよ」
私は視線をあちこち巡らせながらも、頷いて見せる。内心は不安で一杯だった。
ただ、彼女をぎゅっと抱き締めた時に、何故だか安心感が体に広がった。もう大丈夫、そんな気がした。
エンジンの振動が体を伝わっていくうちに、私のことを知る人のいないどこかへと行けるんだという予感へと変化していった。
「あ! あとさ!」
彼女はもう一度振り返って叫んだ。
「パンツ! 見えないように気を付けて!」
ははは、と痛快に笑うと、彼女はバイクを発進させた。体がうしろに引っ張られ、私だけこの街に取り残されそうな気がした。私は彼女を抱く腕に力を込めた。
Illustration by Koji
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
第2話に続きます。
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