スモーキーな出来立て豆腐が食べたくて
日々の疲れをいやし、リフレッシュするのに欠かせない”旅”が制限されたコロナ禍。
行きたくてもいけない、どうやってストレスを発散したらいいのか・・・
最初はオンラインツアーなるものに参加してみたものの、やはり現地で自分自身が体験してこそが旅の醍醐味だよなと早々に離脱。
在宅勤務もあいまって、日本語を忘れそうなほど誰ともあわずしゃべらずに悶々と過ごしていた日々を潤してくれたのがご当地グルメ。
ふるさと納税枠ではあきたらず、ネットで産地直送の新鮮な魚介類や牛肉、加工品などなど取り寄せては旅気分を味わっていた。
そして、コロナ禍が少し落ち着いてきたときに出会ったのが百貨店の物産展。
「現地で食べるから買うから楽しいうまいんだから物産展なんて邪道」といって食わず嫌いならず行かず嫌いをして避けていた物産展だったが、なぜ今まで行かなかったのかと後悔するほどはまり、財布のひもがゆるむゆるむ。
試食をしてしまうとついつい調子に乗って買ってしまい、リュックに戦利品をいれてスキップして家に帰っていた。
47都道府県のありとあらゆる食材をパンフレットを見ながら生産者の思いとともに食べているうち、実際に作っている工程を見てみたいという新たな旅の楽しみ方を見つけられたのはうれしい副次的効果。
その中のベスト3に入っていた一つ、島根県益田市にある真砂の豆腐にアポをとり、本当に行ってしまった。
物産展は、ただ単に商品を販売していることも多いが、実際の生産者が販売にきていることも多い。
真砂の豆腐は試食をした瞬間、いつも食べているスーパーの豆腐とは全く違うと実感。豆腐なのに燻製のようなスモーキーな香りと味わいを感じたのだ。
なぜだなぜだ。こんなとき生産者がいるとすぐに質問できる。
行列ができ、精算で忙しい中、いやな顔一つせずに製法を教えてくれたのは真砂の豆腐を製造販売する有限会社真砂 代表取締役の岩井さん。
なんでも昔ながらの直火の大窯炊きで手作りしすることでこの独特の焦げたような風味ができるというのだ。
”昔ながら”という大好物ワードにすぐにビットが立ち、大釜を見てみたい気持ちが抑えられない。
「あの~、見に行ってもいいもんなんでしょうか」
と恐る恐る聞いてみると
「もちろん!ぜひいらしてください」
と名刺をいただいた。いつ行こうかとうずうずしていたときに、広島出張が決まった。
こ、これはチャンス!
というのも真砂の豆腐のありかをGoogleマップで事前調査したところ、島根県のはじっこ、山口に近く、広島からまっすぐ北上するとつくのだ。
とはいえ、車で約2時間。なかなかの山奥にある。
どうしても真砂の豆腐がスモーキーになる理由をこの目で確かめたい!
社交辞令という言葉はわたしの辞書にはないので、来てくださいの言葉を信じ、まずは、メールをしてみた。
1時間経過しても返信がない。仕事をしているのだから当たり前である。
でもでも、もしかしたら大量のメールに埋もれてしまうかもしれない!
電話しようか、でも、登録されていない番号からの着信は迷惑電話と思われてとらないかも。返信がなかったら突撃しようか・・・ありとあらゆる想定をしていたらぴろ~んとメール着信マークがひょっこり。
なんと、岩井さん、わたしのことを覚えててくれてお待ちしておりますとのこと。
泊まりたいホテルの予約がとれたときよりも、飛行機のスーパーセールで激安チケットをゲットしたときよりもドキドキが止まらない!
もう~いくつ寝ると、真砂の豆腐~とルンルンしながら待ちわびた。
●●すぎるを多用したくなる豆腐作り
「朝から5回にわけて仕込みをするので8時に来てください」
とのことで、朝6時に広島出発。
広島から益田市へは山ドライブ。
信号も行きかう車もほぼなく、あっているのか不安になるものの、無敵のGoogleマップナビのおかげで迷うことなく到着。
豆腐の文字が見えず、ほんとに真砂の豆腐製造所なのかとウロウロしていると岩井さんがお出迎え。
会いたかったですよ~という感動のご対面はそこそこに仕込み真っ只中ということで早速、見学させてもらった。
これが、噂で聞いていた大釜。
まるで生クリームのような美しい豆乳をご覧あれ。
最近、ネットニュースで、●●すぎるという文言をみて、「すぎる多用しすぎ」と文句をいっているわたしだが、ここではいわせてほしい。
美しすぎる
なめらかすぎる
白すぎる
おいしそすぎる
あああ、自分でぐるぐるかき混ぜたい。
大きな木べらでぐるぐるかき混ぜている様子を飽きることなく眺める。
金縛りにあったかのように微動だにせずに眺めていたら、さすがに岩井さんが
「そろそろ豆腐作りの最初の工程からみてみようか」
と声をかけてくれた。
なにはともあれ大豆である。
島根県産の大豆を主に使用しているものの、全部を島根県産ではまかなえないため、山口県産も使用している。
機械で大豆をすりつぶす。
大豆本来の香りとともに、もうこれは豆腐では?という状態ですりつぶされた大豆がマグマのようにどろどろと流れてくる。
もうすでにおいしそうだ。
そして何度見ても見飽きるどころか、豆乳の美しさにうっとりする大釜作業。木べらでゆっくりとかきまぜていく。
途中何度か木べらに水をはわせているものの、分量は図ってない様子。
いわゆる目分量。職人だけがなせる業。
直火で温めながらかきまぜていくと出てくるのが泡。
消泡剤を入れれば除去作業はなくなるものの、どこまでも手作業にこだわるという信念のもと丁寧に除去する。
泡とわかっていても生クリームにしか見えず、やっぱりおいしそうにみえる。
いよいよ豆乳搾りだし作業。
機械で一気に絞り出す。
ドラム式の洗濯機のような仕組みで、おからをはきとばす。
こうした工程をへることで、少ないにがりで豆腐ができ、いわゆる昔ながらの固めの豆腐が食べられるというわけ。
ちなみに現在の豆腐は豆乳濃度が高くにがりを多めで作るから、なめらかな豆腐になるのだそう。
そして、豆腐を作るのにかかせないにがりを投入。
混ぜすぎると分離したり、固まりにくくなるため、手早い作業が肝要。
実は家で豆腐を作った時、ぐるぐるかき混ぜすぎておぼろ豆腐通り越して、
ぼろぼろ豆腐になった記憶がある。
真砂の豆腐はこの混ぜ機のようなものを一回プッシュして終わり。
簡単に見えたが、これもなんかコツがあるに違いない(←見惚れてて質問するのを忘れた)
穴のあいた箱に木綿の布を敷き、豆乳を投入(←ダジャレっぽい)
箱いっぱいに豆乳を投入(←結構、この表現お気に入り)
巻きすのようなものを敷いて準備OK
機械で押し、水分を抜く。
いよいよ豆腐がお目見え。
ゆっくり木綿をはずす。
カッティング作業開始。
この道、うん十年の82歳のおばあちゃんが黙々とカッティング作業を行う。
乱れなくまっすぐカッティングするかっこよさよ。背中が「俺に任せな!」といっているような貫録でかっこよすぎた。
ひとつずつパックにいれパウチしたら出来上がり。
夏はいいとして真冬に素手で水の中に手を入れながらの作業はさぞかしつらかろうと思いきや、
「もう慣れちゃった」
とほほ笑むおばあちゃん。ここにも職人あり。
スモーキー豆腐の正体を見た!
パックされた豆腐をうっとりと眺めていると、奥からガシガシと何かこする音が聞こえる。
大釜の底についた豆乳のおこげをとっているのだ。
スモーキー豆腐の正体見たり!
直火で炊いているため、毎回この掃除の作業が発生する。
この掃除作業が大変で豆腐製造をやめてしまう、もしくはオール機械化してしまう業者が多くいるのだそう。
この大釜炊き製法を守っているのは真砂の豆腐だけといっても過言ではない。
他の業者が機械化してしまったため、逆に大釜炊き製法が目立ち、珍しい存在となり注目を浴びたともいえる。
削り作業はお手伝いさせていただいた。
するすると取れるものの、キレイにとるとなるとなかなかの力作業。
鰹節のようにキレイにするするととれちゃったので
「あのう、これ食べてもいいんでしょうか」
と聞いたら、何言ってるんだ?と変人をみるような顔で
「いいよ、捨てるだけだし。おいしくないんじゃないかな」
ということで、捨てるならとぱっくり食べてみる。
確かに味はしないが、焦げ湯葉を食べているような感じで小腹満たしにはいい。
は!これ、商品化してみては!と言ってみたものの、何をいってるのかこの子は?状態で微笑まれて終了。
ヘルシーだしいいアイデアだと自負するが、確かにどういうネーミングでどう販売するのかは難しいところ。次回までの宿題にしておこう。
物産展のポスターに「真砂の豆腐は立っている」というコピーがあったが出来立ては立ち方も美しい。
木綿豆腐といえば木綿豆腐なのだが、食感がいつもと全く違う。
甘くない弾力あるケーキを食べているようなそんな味わい。
独特のスモーキーな味わいと香りも今までに食べたことがない味わいで病みつき必至。
水分を抜かないざる豆腐も販売している。
よっぽど食べたそうな顔をしていたのか、
「ほれ、食べなされ」と渡された。
このフロマージュのようなビジュアルにノックダウン。出来立てはほんのり温かく持っているだけで優しい気持ちになる。
口にいれるとまだ熱々。ほっほっほっといいながらも口の中で大豆本来の甘味を堪能。水分が多いため、口の中ではかなくとろけていく感じもいい。
醤油も何もつけてないのに甘くておいしい。
プリンとも違う新食感スイーツを食べている感じだ。
これを幸せといわずしてなんという。人は幸福ならぬ口福という。
あまりにもおいしく目をつぶって余韻を楽しむもあっという間に完食。
すると、
「よっぽどお腹がすいているのね、朝ごはんも食べていきなさい」
真砂の豆腐はお弁当の販売も手掛ける。
豆腐工房の奥でお弁当を作っていたパートのおばちゃんと一緒に朝ごはんを食べることになった。
4月は山菜の宝庫。
わらびのお浸しにたけのこの味噌漬け。島根県産の板わかめのおにぎりに、真砂の豆腐の厚揚げ入りのお味噌汁、そして、ざる豆腐のおかわり。
コロナ禍で大人数の会食が控えられたが、やっぱりたくさんの人とおいしいものをおいしいと言いながら食べる時間は幸せだ。
全てが手作りの素朴な朝ごはんが五臓六腑に染みわたる。
知らない人と出会い、語らうのが楽しい。
知らないことを身をもって体験できるのは人生の醍醐味だ。
物産展などで全国各地どころか世界中のご当地グルメが食べられる時代になったがやっぱり実際に自分自身でその土地にいって地元の人と交流し食べるご飯は全く違う。
自分自身で体験したことは絶対に忘れないし、人生の糧となる。
だからやっぱり旅はやめられないのだ。
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