124. 応援してもらえることについて僕はどう考えているか
先日、こんな素敵なプレゼントが届きました。
これを送ってくれたのは、カナダでアイスホッケーをする少年、檜垣大城(ひがきたいし)くんです。わざわざ手書きのメッセージ付きで大学宛てに手紙を送ってくれました。文の内容は、
Yukiへ
いつもYouTubeの動画を見てます。いつか一緒にホッケーがしたいです。僕はアイスホッケーが本当に大好きです。あなたもだよね :)」
というものでした。また当時は12月ということで、クリスマスツリーの飾りも一緒に送ってくれました。
自分に対して時間を使ってくれることへの感謝
こういったメッセージや温かいプレゼントを頂くことは今までも何度かありましたが、そのたびに、日本から遠く離れた地(大城くんの場合はカナダでしたが)にいる僕のことを気にかけてくれる人がいてくれることは、なんて特別なことなんだろうと感じます。
僕はもともと、言ってしまえば「自分がもっとアイスホッケーをうまくなりたいから」という至極自己中心的な理由で海外に飛び出しました。実際、今もその思いは抱き続けているし、「自分のやりたいことをやる」というのは当然といえば当然なのですが、海外での生活を続けていくうちにその思いに対して「責任」が芽生え始めました。
この「責任」の正体は、自分がチャレンジをしたいと思ってもそれが出来ない人たち、海外でプレイしようにもその手段がない人たち、夢を追いかけたくても様々な外的理由でやむなく諦めざるを得ない境遇にいる人たちがいる、ということです。自分が「これやりたいなー」と思ったときに、それをサポートしてくれる人たちが周りにいたり、自分を受け入れてくれる場所があったからこそ、僕はこうして自分のやりたいチャレンジを続けることが出来ています。
今までも何度かこの話はしたことはあると思いますが、僕はどう考えても、自分が今まで積み重ねてきた努力以上の恩恵を様々なタイミングで受けています。「たくさんの努力をしてきたからここまで来れたんでしょ」と思う人もいるかもしれませんが、それは間違いです。これまで僕は、本当に数えきれないほど多く、周りの人や環境に助けられてきました。「この人がいなかったらどうなっていたかわからない」という場面は何回もあったし、「このチームでプレイできたから未来が開けた」ということが山ほどあります。そしてそもそも、まだ何も成し遂げていません。
だからこそ、海外に出てからの僕は、「こんなにも多くの理を与えてもらえた自分には果たさなければならない使命がある」という考え方に変わっていきました。
これが、個人の欲から責任へシフトすることになったきっかけです。
よくこの話をすると、「そんなに人のためにやろうとしないで、自分のためだけにチャレンジを続ければいい」と言われることがあります。これはもちろんその通りで、自分の人生を生きている以上、自分のためにやりたいことをすべきということは重々承知しているのですが、僕個人の考えとしては、世の中に対して自らの経験や考えを循環させていくことは「やりたいこと」であり「やるべきこと」という認識でいるので、今の自分は、「なにかをやりたいと思ってもそれにトライすること自体が難しい人たち」の思いを共に背負うことは必然だと考えています。
話を戻します。自分が海外でチャレンジを続ける時間が伸びていくほどに、自分のことを知ってくれる人、応援してくれる人がどんどん増えていきました。日本に帰国したときに声をかけてもらったり、今回のように手紙を頂いたり、SNSでコメントやメッセージを受け取ったりと、いつしか僕の周りには、自分のチャレンジを見届けてくれている人が多くなっていきました。地元の友達や高校時代の友人、先生もそうです。いまだにメールやラインのやり取りをしてくれる人たちがたくさんいます。
きっと、こういった人たちがいてくれるからこそ、僕は海外という場所でも孤独感を感じることなく毎日生きていられるのではないかと思っています。(もちろん、海外にいるからこその素晴らしい出会いもたくさんあります)
応援の”具現化”
最近は今まで以上に応援の”具現化方法”が増えてきていると思います。例えば、選手へのスパチャだったり、クラウドファンディングなどです。本当にありがたい世の中になっていると思います。
ただ、このようにたくさんの応援の”具現化方法”が増えてきているからこそ、「単純に成功を願ってくれる人たち」や「ただ成長を見届けてくれる人たち」の存在が薄れてしまっていないか、と僕は考えることがあります。
現代においては、支援という形で「どれだけお金を出しているか」がその人の偉さを決める風潮が少なからずあると思います。もちろん、選手やクラブからしたらより多くの金銭的支援を受けられる方が嬉しいに決まっているし、そういった人たちをより優遇することは言ってしまえば当たり前のことかもしれないけど、それよりも先に、僕は自分のチャレンジの成功を願ってくれる人がいることこそが何よりも尊いことであり、そこに優劣はないと考えています。こういう風に考えてしまうのは、自分がまだまだ社会を知らないペーペー人間だからかもしれないし、現実を見たことのない甘ちゃんだからかもしれません。ただ、僕は自分のこの考えに対して誇りを持っているし、それが仮に形のある応援になったとしても、目に見えない応援だったとしても、その人が自分のことを思ってくれていることに変わりはなく、かけがえのない存在であるということを決して忘れません。
このままいけば、僕は4月末ごろには大学を卒業します。(単位全部とれますように…)これまでの4年間とは違った環境に身を置くことで、また新たな障壁やら課題やらがきっと出てくるとは思いますが、それこそまさに自分が今まで求めてきたものであり、そして乗り越えてきたものだと思います。常に新たな可能性を切り開き続け、これからの世代の道しるべとなれるよう、自らの行動で体現していきます。
そして、そんな道中を楽しみながら、喜んで通りたいと思います。未来のことを考えるのはいつだってワクワクする!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
というわけでまずは、明日からの遠征を頑張ってきます!(バス移動中にお尻が痛くなりませんように)
三浦優希
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