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101. アイスホッケー選手としての「終わり」をデザインする

皆さんこんにちは。三浦優希です。

今回は、僕のアイスホッケー選手としての「終わり」について考えていきたいと思います。

それでは今日もよろしくお願いします。

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「始め方」は考えても、「終わらせ方」を考える人は少ない

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「終わり」を考える、なんてことを突然言うと中にはびっくりされてしまう方もいるかもしれません。(*この話を進めるにあたり、ご理解いただきたいことが一つあります。僕がここでいう「終わり」は、いわゆる現役アイスホッケー選手としての生活から離れる瞬間を指します。)

「最初からやめる気なのか」

「もう引退するの?」

「そんなことは考えず今に専念したほうがいい」

という言葉も聞こえてきそうですが、僕にとってはどのようにアイスホッケー人生に幕を下ろすかというのはとても大切なことです。

なぜ「終わり」を考える必要があるのか。それは、

・この競技への愛・感謝を最大限に表現するため
・終わりを決めることで限られた時間を濃密なものにするため
・次の舞台への踏み出しを鮮やかにするため

です。

「諸行無常の響きあり」という言葉もありますが、物事には必ず「終わり」が来ます。僕のホッケー人生もそう。物心つく前から親しんできたこの競技ですが、いつかは別れの瞬間が訪れます。必ず、第一線から退くときはやってきます。僕はその瞬間を自分でデザインしたい。なぜなら、僕が海外で挑戦を続けてこれたことも、数えきれないほどの素晴らしい出会いに恵まれたことも、貴重な体験を積むことが出来たことも、全てはこのアイスホッケーというスポーツがあったからです。僕の人生を想像もできないほど豊かにしてくれたこの競技と、中途半端な別れ方はできません。

正直な気持ちを言うと、自分がホッケーをやめる瞬間なんて今は全く想像がつきません。それに、「終わり」を考えるのは少し怖い気分にもなります。それでも、僕は考えなければいけない。それが今まで好き放題関わらせてもらったアイスホッケーという競技に対しての礼儀だと、僕は感じているからです。

僕としては、自分の最後を「有終の美」で終わらせたいというような思いはあまりありません。大会で優勝してから辞めるとか、オリンピックに出てから辞めるとか、そういう事にはあまりこだわりはありません。僕以外のだれかに、自分が退くタイミングを決めてもらうつもりもありません。僕が貫きたいのは、引退を決断するタイミングで「常に挑戦を続けることができた選手生活だった」と思えるかどうかです。

よく言われることですが、人間いつ死ぬかわかりません。突然体が動かなくなることも、大けがをして二度と氷の上に立てなくなることもあります。常に、終わりの瞬間は身近に潜んでいます。僕の周りでも、試合中の怪我が原因で歩くことが困難になった選手もいれば、前日まで隣で授業を受けていたクラスメイトが交通事故で亡くなったという経験をしたこともあります。

僕が望まないタイミングで、突然アイスホッケーができなくなる瞬間が訪れる可能性はゼロではありません。この競技から身を引く時を自分で決められるのか、はたまた不可抗力的に受け入れざるを得ない状況になるかどうかは、未来のことなので誰にもわかりません。だからこそ僕が大切にしたいのは、形はどうであれその瞬間を迎えたとき「挑戦し続けられていた」と自分を認められるかどうかです。

僕がホッケーをやめるときは怖さが挑戦への意欲を上回った時

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僕は、自分が引退をするべき時、というものを明確に定めています。それは、自分よりもうまい選手がたくさん現われたときでも、試合に出られなくなった時でも、年齢を重ね体が思い通りに動かせないと感じたときでもありません。僕がホッケーをやめるときは「怖さが挑戦への意欲を上回った時」です。

「ここを離れるのが怖い」

「新たな環境に行くにはリスクが高い」

「積み重ねてきたものを手放してまで新たな地にはいけない」

このように、何か選択肢をまえにしたとき「ワクワク・ドキドキ」という思いよりも先にこういった感情が湧き出てしまった時が引き時だと決めています。

「現状維持を選んだ方が安心する」というような思考になった時こそ、挑戦者としてアイスホッケーを続けることはやめるべきだと考えています。

とにかく僕は、守りに入りたくない。

もちろん、新たな道に進む時には様々なことを考えます。実際に新たな環境に飛び込むことはそれなりのリスクを負うし、不安になることだっていっぱいあります。自分が新たな場所に行くべきか、それともその場所にとどまるべきかどうかの答えを出すことは容易ではないかもしれませんが、自分の経験上、それらのケースは往々にして「新たな場所に行った方がよい結果を生む」ことが多い気がしています。

ちなみに僕は、環境を変えることでいったいどのような事象が自分の身に起こるのかを考えることは決して「逃げ」ではないと思います。むしろ、必要不可欠な行動だといえるでしょう。ただ僕としては、それらはすべて後付けで良いものであって、一番大切なことは「その機会を目の前にした瞬間に自分の内側でどのような感情が一番最初に湧き出てくるか」だと思います。

今まで僕は、日本→チェコ→アメリカと新たな環境に身を移してきましたが、そのすべての決断の時にも真っ先に思いう感が感情は「ワクワク」でした。

不安や心配はいくらあっても良いと思うけど、その一番奥の奥のさらにその深淵に「挑戦への意欲」があるか。これが重要だと思っています。

ちなみに僕は、現状を維持することや環境を変えないことが悪と言っているわけではありません。人それぞれ環境も状況も立場も背景も違うので、一人ひとりが自分の意見を持っていてよいと思うし、他人に向けて自分の意見を無理やり突き通そうとするというのは無意味な行動だと思っています。僕以外の人の生き方や考えに文句をつけるつもりは全くありません。

僕が今ここで伝えているのは、あくまで僕自身の人生についてです。

「終わり」は決してネガティブなものではない

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「終わり」という言葉を聞くと、どうしても残念な気持ちが思い浮かんでしまいがちです。自分が今まで慣れ親しんできた物の未来がもう見れない、と思うとポカーンと心に穴があいたような気分になってしまうこともあるでしょう。

ただ、僕としては「終わり」というものは決してネガティブなものではないと思っています。一番最初にも言ったように、物事には必ず終了する瞬間というものが存在しているわけです。それが「終わり」を迎えるということはつまり、そのものが持っている役割を全うした、と言っても良いのではないかなあと個人的には思っています。

「終わりは始まり」なんて言ったりもするけど、僕としての考え方は少し違って「正しい終わりを迎えたものにだけ、新たな始まりが訪れる」と考えています。ここでいう「正しい終わり」というのは、自分がそれを認められるかどうかです。見かけ上は「終わり」としていても、本当は心の中でずるずるとそれを引きずってしまっていては、新たな一歩は踏み出せません。

どんな形であれ、自分としてのけじめをつけること。そしてそれを認めること。これが、本当の「終わり」を迎えることだと思っています。

僕はこの先どれくらい現役アイスホッケー選手として続けられるかはわかりません。そもそも、いつまで「アイスホッケーを続けたい」という感情が自分の心の内にあるかもわからないままです。一つ言えるのは、確実に「終わり」の瞬間は存在し、それが少しずつ自分に迫ってきているということです。

だからこそ、それから逃げずにしっかりと向き合います。

「アイスホッケー選手としての最後の自分」と対話を常に続け、必ず「そいつ」を満足させられるように、今からデザインしていく。

これが僕の考え方です。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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三浦優希




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1996年生まれ。アイスホッケーをやっています。高校2年生の時に早実を離れ海外挑戦を始めました。チェコ、アメリカを経て現在はNCAAのDivision 1に所属するLake Superior State University に通う学生アスリートです。

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