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娘が考えた強迫性障害との付き合い方

娘は、ウイルスに対する強迫性障害がある。

娘が小5の時、息子がノロウイルスに感染、瞬く間に家族に感染した事がきっかけだった。

その時娘は、有名な講師にバイオリンを習い始め、その先生についてから初めてのコンクール出場を一週間後に控えていた。成功させなければ、というプレッシャーも大きかったと思う。

みんなで寝込んでいる中、娘は吐き気と戦いながら心も苦しんだ。

バイオリンの練習が出来ない焦り、
みんなには早く治さなければならない大事な用事がないのに、どうして自分だけ焦って治さなければいけないのか?
どうして自分だけこんな大変な思いをしないといけないのか?

こうして、まだ幼かった娘はこの出来事がトラウマとなってしまった。

娘は、その頃からウイルスについての本を漁るように読んでいった。また、免疫についての本、免疫力の付け方、免疫力をつけるには睡眠が良いと知れば、睡眠についての本と、様々なウイルスに関係する本を買っては読んでいた。
そして、知識をつければつけるほど、娘はどんどん恐怖心も増していったように私は思う。

娘はウイルスを増々怖がるようになっていった。


「自分は風邪など引いている暇なんかない!毎日バイオリンを練習しないといけないんだから!」

娘はバイオリンを弾けない身体になることを恐れるようになり、やがて、ちょっとした風邪も、咳も鼻水も怖がるようになっていった。

そして、家族の誰かが風邪を引いてないか、毎日毎日気になるようになった。誰かが咳をするだけで、鼻をかむだけで、私に「風邪引いてないか?」と問いかけるようになった。

私は「大丈夫だよ」と毎回応えるが、一日に何度もの確認行動が鬱陶しくなり、訊いて来る娘に耐えられない時期もあった。

だが娘には、私の「大丈夫だよ!」が大きな意味を持っていた。
私の「大丈夫だよ!」を聞くとほんの一瞬だけ安心するから、不安になると何度も訊いてしまうんだ、と言っていた。
それを聞いて、私の一言で娘が少しでも楽になるなら、何度でも言おうと気持ちを入れ替えた。

私達はこの「大丈夫だよ!」を変わらず繰り返して長年なんとか過ごしてきた。  


だが先日、
決定的な出来事が起きてしまった。

それは、私が自ら風邪を引いてしまったのだ。

今までにも風邪は引いていたが、それは子供達からもらった風邪で、看病で移るのは仕方ない、と娘にも諭してきた。

今回あまり外出していなかったにも関わらず、風邪を引いてしまった事に、私自身もショックを受けたが、娘はこの世の終わりという程、酷く落ち込んでしまった。
「大丈夫だよ!」と言ってくれる人がいない……
娘の顔はひきつっていき、無表情になっていった。勉強もバイオリンも何も出来なくなり、何もかも手付かずになった。一日中部屋に閉じ籠もっていた。

「大丈夫だよ!」と言ってくれていた人が自ら風邪を引いた……

この事実が今までの娘の考え全てを帳消しにした。
何を信じて良いのか、
この先もう母を頼ることは出来ないのではないか、

こんな不安が娘をドン底に突き落とした…


私自身、風邪で寝込みながらも、娘が物凄く辛い思いをしているのをヒシヒシと感じていた。
でも、
どうしようも出来ない、
「大丈夫だよ!」と声もかけられない……

私は布団の中でたくさん娘の事を考えた。

私が今後も風邪を引かない、なんて保証はどこにもない。だから今回のような落ち込みがないようにするにはどうしたら良いか、いっぱい考えた。強迫性障害についてもたくさん調べた。

考えた結果、強迫性障害は治せる病気だから、何十年かかろうともウイルスという恐怖の対象から逃げないで、娘の頭の中を積極的に治していくべきだ、と思った。治し方の本もたくさん出版されているし、少しずつ読んでみる事を娘に提案してみようと思いついた。


私のしつこい風邪は結局、ゴールデンウィークという特別な連休のせいで家族皆に移ってしまい、二週間程経って、やっと我が家に平和が訪れた。

娘の表情も和らいでいき、いつもの日常を取り戻しつつあった。
娘が落ち着いてきた時分を見計らって、私は布団の中で考えてた事を話してみた。

すると、娘自身も今回の件でたくさん考えた事を話してくれた。

お母さんが風邪になって、誰にも心の内を話せなくなって辛かった事、
将来お母さんがいなくなったら自分はどうなってしまうのか?……などなど

そして、今までにも強迫性障害についてたくさん調べた事があるようで、
怖いと思うことを無理やり体験し、何も起こらない、大丈夫、という経験を繰り返すことで、強迫観念を和らげていく訓練の仕方も知っていた。
治療本があることも知っていた。

例えば、
いつも手を洗っていないと気が済まない人が手洗いを止めてみる、
鍵をかけたかどうか気になって何度も確認しに行く行動を止めてみる、   など。

強迫性障害でも良く見聞きする内容とは少し違う娘は、ウイルスも怖いのだが、家族が何らかのウイルスにかかる事も怖いらしく、風邪にかかる家族が恐怖だと、行動を制限する治療法は難しい。娘も本に書いてある内容は自分の症状とはズレていて参考にならないと言っていた。

薬や医師に頼らないと決めた今、
娘は、自分の症状を細かく分析し自分の性格と照らし合せて、娘独自の乗り越える方法を見い出した。

それは、
『とことん落ち込む事』

家族の誰かが風邪にかかってしまったり、日常生活で気持ちが落ち込んでしまった時は、家族に心配させないように気を張ったり、元気に振る舞ったりすることをやめる。今回そうしてやめてみたら、少し楽に過ごせたらしい。

そして、

『何もしないで休む事』

やる気もないのに、無理して勉強やバイオリンの練習をしない。
今まではどんなに心が疲れていても、やらなくてはいけないことをやる!と守ってきたけど、余計にしんどくなるし、バイオリンが嫌いになっちゃうから。一年やらなくても身体はバイオリンを覚えていたし、一日やらなければ三日分落ちると言われるけど、自分はそう簡単に衰えないって分かったから。

今までバイオリンに対してストイックな考えだった娘が、辛い時は休んでも良いんだ!と思えるようになったそうだ。


また、この社会で生きづらいASDの娘は
他人と会うことはコミュニケーションの訓練、
何が起こるかわからない外出も自分を強くするための訓練、
いじめられても人の痛みが分かる優しい人間になるための訓練、
だと思って自分自身を鼓舞して生きている。

普段からストイックな考えを持つ娘には日常生活に休みがない。
だから、娘にとって『休み』は貴重なのだ。


娘は、
家族が風邪になったら「自分も休める」のをメリットと考えようと思う。
と語った。
そういう風に前向きに考えていけたら、いつか強迫性障害が治っているかもしれないし、また別の治し方を思いつくかもしれない。
ただ今は、自分の中で実験段階だけど、そうやったら乗り越えられるかもしれないなって考えている。

✜•✜•✜•✜

私が思っていたよりもはるか先を娘は歩いていた。
私よりもしっかりと前を向いていた。

もうすでに、私がいなくても私を飛び越えて立派に物事を考えられているではないか!


大丈夫! 絶対治る! と私は確信した。




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