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人生の映画のエッセイ|バチカンで逢いましょう

今日は処暑。
朝晩は少し秋の気配も感じる……とはまだ思えませんけど、確実に季節は少しずつ移り変わっていますね。

我が家はまだ夫が夏季休暇をとってないこともあり、夏休み気分を味わえないままで、なんだか不完全燃焼です。
まあ、このコロナ禍ですから、気軽に旅に行けるわけでもなし、淡々と過ごす夏、ですね。

こんな時は映画でも観て、旅行気分を味わうのが一番!
というわけで、今回は海外が舞台の映画です。
「バチカンで逢いましょう」

バチカン市国、私もずいぶん昔に行ったことがあります。
私が社会人になって2、3年経った頃だと思います。
妹は大学生だったかな、両親と4人で初めてのイタリアに。
それこそ映画やテレビでみた「ローマの休日」のスペイン階段や、ミラノのドゥオモ、フィレンツェのポンテ・ベッキオ、ベネチアの水路。わくわくする体験ではありましたが、すでに一人暮らしをしていた私にとって、10日間ほど家族でべったり過ごすのは、ストレスを感じることも多かったのでした。

ツアーではなく個人旅行だったので、大まかな旅程以外は、かなり曖昧なまま出発。地理学科卒で、旅好きな私が当然のようにツアコン的な役割を引き受けたのですが、これがストレスの原因でした。
ガイドブックを買い込み、他の3人がぐーぐー寝てる中、行きの飛行機の中でも読み込み、予習はバッチリ。両親や妹も満足してくれそうなプランをひねり出したつもりでしたが……。

ローマの宿は、由緒あるクラシカルなホテル。それゆえ設備も古め。コネクティングルームを用意してもらったのですが、間にあるバスルームはひろーい部屋の隅に猫足のバスタブがぽんと置かれ、もう片方に便器とビデ、という作りで、寒々しいというか、身の置き所がないという感じ。
ベッドは、足の短い日本人は飛びあがらないといけないほど高い。
(寝ている時に落ちたら……!)
またヨーロッパにはありがちですが、部屋は電気を全部つけても暗い。
明るくて機能的なのが好きな父は気に入らないらしく、文句ばかり。
今のようにインターネットはなく、部屋の写真を何枚もみたり、泊まった人の感想を検索できるわけでもなく、行ってみないとわからない状況で。

ウフィツィ美術館でのこと。ふと見ると、歩き疲れた母は学芸員さんの椅子に座り込んでいました。しかも「宗教画ばかりでどれも一緒。面白くない」とのたまう……。

ローマのコロッセオの前では、後ろを歩いていた父が大声を出したのでびっくりして振り返ると、小さな子供達に財布をすられたようで。
「だからズボンの後ろポケットにお財布入れたら危ないって何回も言ってるやん!」
「わしはこれまで何回も海外出張に行ってるけど、いつもここに入れて、取られたことなんてない」
かなりの険悪ムード……。

ベネチアでは迷路のような道に迷い、父と私で、あっちだ、こっちだ、と言い争い。それを見た妹は泣き出す。こっちも泣きたいわー!

ほとほと私も疲れて嫌になって、翌日のスケジュールを示した上で、気に入らないなら案を出してね、と言っても誰からも何の意見もなく「特にない」「任せる」というばかり。だったらもっと楽しそうにしてよ!と思ったり。
あー、今でも結構覚えているものです(苦笑

この旅の途中でバチカン市国にも行ったのですが、バチカンでは特にトラブルの記憶はないので、きっとそれなりにみんな満足したのでしょう(笑

いろいろあったイタリア旅でしたが、両親は、娘たちが嫁に行く前に家族旅行に、と思って企画してくれたのでしょう。きっと無理してくれたんだろうな、と今ならわかります。
母はきっと「家族でイタリアに行った、というだけでうれしい」という気持ちだったんだろうな。

でもあの時の私はいつも「最適解」を求めていた。
仕事でもプライベートでも、なんとか「一番いい答え」を探し出そうとしていた。
自分の最適解ではなく、家族の最適解を目指したつもりだったけれど、今思うと、ひとりよがりだったんでしょうね。

定年後、母と二人であちこち旅行に出かけていた父でしたが、緑内障を患い、だんだんと視野が狭くなり、何度目かの手術をした後に、ガクッと見えなくなったようです。
3年ほど前、一緒に行った沖縄では「よう見えへんねん」と寂しげで。それからは、誘ってもどこにも行かなくなりました。

あのイタリア旅は、今思えば、大人になってからべったりと家族で過ごしたまたとない貴重な時間で、良くも悪くも「うちの家族」をよくよく味わう、いい機会だったなあ、と感じています。

さて、前置きが少々感傷的で長くなってしまいましたが、一連の映画エッセイもこれが最後です。2016年2月に書いたものになります。
この映画も「家族」というものを考えさせられる作品です。旅って、日常なら紛らわしてしまえることも、密に一緒に過ごすことで、向き合わざるをえない状況になるのでしょうね。

レシピより映画エッセイの方が「スキ」が多かったりと、ちょっと複雑な気持ちもありますが(笑)、パソコンの中で眠ってたものが日の目をみて、読んでくださった方が、面白そうな映画だな、観てみようかな、と思ってもらえたなら、うれしいです。

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「バチカンで逢いましょう」
夫に先立たれたドイツ人女性マルガレーテは、ローマ法王に面会するため単身バチカンへと向かう。彼女は敬虔なカトリック教徒だったが、法王に懺悔しなければならないことがひとつだけあった。初めてローマを訪れたマルガレーテは、自分と同じく人生の秘密を抱える老詐欺師ロレンツォと出会う。やがて、ひょんなことから廃業寸前のドイツ料理店のシェフとなったマルガレーテは、美味しい料理で店を建て直すことに成功。その評判は法王のもとにも届き……。監督は「飛ぶ教室」のトミー・ビガント。
2012年製作/105分/G/ドイツ
原題:Omamamia
配給:エデン
 出典:映画.com


一度きりの人生ですもの。思いっきり生きよう!

あなたには、だれにも打ち明けられないこと、ありますか?
いやいや、そんなことひとつもございません!と胸を張って言えたらいいのですが、誰しも大なり小なり、思い浮かぶことがあるんじゃないかしら。

confession =懺悔、告白し赦しを請う。
キリスト教徒の方は別として、なかなか日本人にはピンとこない言葉ですが……今回ご紹介する映画の鍵になるのが、この言葉。

若かりし頃、ドイツからカナダに移住したマルガレーテおばあちゃんが主人公。夫に先立たれ、思い出が詰まった田舎家を引き払って娘家族の家で同居と思ったものの、老人ホームに行って頂戴ね、と言い渡され、家族でローマ旅行という約束も反古にされ……黙ってひとりでローマに行っちゃう!

「敬虔なカソリック教徒」であるマルガレーテおばあちゃんは、バチカンに行ってローマ法王に逢いたい、という強い願いがあるのね。ローマにホームステイ中の孫娘のところに行くんだけれど、「敬虔なカソリック家庭」でベビーシッターしているはずの孫娘は、ワイルドなロック歌手と恋に落ち、同棲しちゃっております。ここから、あららら、とびっくりするほど、いろんなコトが次から次へとおこります。
マルガレーテおばあちゃんも、イタリア男と結婚?
おまけにドイツ料理レストランのシェフになっちゃう??
ついにはやっと謁見が叶うという場面で、ローマ法王に危害を加えようとした、ってことで警察に連行されちゃって、そのニュースをみた娘があわててカナダから駆けつける、という騒ぎにまで。

恋愛もあるのだけれど、これは家族の物語。マルガレーテ、娘、孫娘、三代の女の、母娘の物語です。
マルガレーテのconfessionは、家族に関する重大な告白。
びっくりするような内容ですが、これは映画を見てのお楽しみということで。

マルガレーテも、娘も、孫娘もそれぞれに傷ついて、3人揃ってカナダに帰る、という日に、なんとマルガレーテに「法王庁でドイツ菓子100人分を作って欲しい」という依頼が!母娘三代で一緒に作ることになるのですが、この様子がなんだかいいんですよね。
といっても3人仲良く力を合わせて、とはならず、大声で怒鳴ってケンカしながら、なんです。法王様にたべていただくお菓子、しかも法王庁のキッチンで、そんなに口角泡を飛ばして作ってていいのかなあ(苦笑)。でもね、これぞ親子って感じがするわけで。このぶつかり合いで3人の関係がフラットになったんでしょうね。

この時、作ったドイツ菓子が「カイザーシュマーレン」。ドイツやオーストリアで食べられるパンケーキなのですが、面白いのは、丸く焼いたパンケーキをわざと崩して盛りつけるんです。
なんだかこの母娘の関係を示唆しているようで、面白い。

話の筋がちょっとわかりづらい部分もあるのですが、そんなこと気にならないほどぐいぐい引き込まれるのは、このマルガレーテおばあちゃんを演じるマリアンネ・ゼーゲブレヒトの魅力でしょう。どこかで観たなあ、と思ったら、あの「バグダッド・カフェ」のぽっちゃりした女優さん。なんともキュートなおばあちゃんなのです!

いくつになっても、たとえ懺悔しなきゃいけないようなことがあったとしても、自分の人生、一度きりの人生ですもの。親だから、子だから、これが正しいから….. そんな縛りからちょっと抜け出して、思いっきり、後悔のないように生きたい!そんな気持ちにさせてくれる映画です。

*今はなき某映像配信サービスのwebサイトに寄稿した映画エッセイです。

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