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これから、何を書くのか。


伝わってゆく文章を書きたいと、最近よく思ってる。

「どうすれば」それが書けるのか。

これはヒントをいただいた。(こちらのnoteより)
心象や情景を丁寧に描写すること。
わたしからどう世界が見えているのかを、丁寧に描くこと。

どうして描写が大切なんだろう?

ふと思ったのは、人間はもともと想像することが得意だからではないかなって。だからその想像力のスイッチを入れるのが、丁寧な描写であって。

一つひとつ言葉を選びながら丁寧に描いていくと、書いている人の頭の中と、読んでいる人の頭の中が、ぶわーってつながるイメージ。頭の中には絶対に行くことができないのに、同じ景色を共有できる。

同じ景色の中を見ることで、書いている人が伝えたいことが自然と伝わりやすくなるんじゃないかって。だから描写が大切なのかなと考えるようになった。

たった言葉一つでも、見た人の頭の中に情景を広げていくような言葉がある。磨いて磨いて、そういう言葉を使いながら文章を書けるようになりたい。

そして、「何を」書くのか。

これまでは、あまり決めすぎずに書いてきた。

”その時の自分”が感じたこと、心を動かされたことを残しておきたい。書くことで感性を磨きたい。生まれた文章は自分の分身だから、それらを大切にすることは自分を肯定することにもつながる。だから書きたい。

昨日紹介したヨシタケさんの本をまたまた登場させてみます。ヨシタケさんは、どうでもいいけどおもしろいと思ったことをすぐにスケッチするそうなのですが。

ほうっておくと、どんどん下がってしまう気持ちが、スケッチで自分をはげまし続けて、やっと0に戻るのです。

「おもしろいことをたくさん考えて、毎日楽しいでしょう?」なんて言われることもありますが、実は逆でして。

すぐに「もうダメだ」となってしまうからこそ、必死になって楽しいことを考え続けないといけないんですね。

わかる、というのはおこがましいかもしれないけれど、なんかちょっとわかるなぁって。

わたしも毎日文章を書いているけど、「書き続けているという事実」と「結果、つみかさねられている文章」があるから、気持ちが下がらずに済んでいるような気がして。

だから文章を書くことをやめると、いろんなことを吸収しすぎて、感情の波、情報の波におぼれていってしまうような、そんな感覚がする。外に出すことでおぼれることを防げるのです。

だから「何を書く」ということはこれからもあまり決めすぎずに書いていきたいと思う一方で、少しずつ「伝えたいこと」も生まれてきているようにも思って。

その伝えたいことというのは、「子どもの利益になること」かなと。”利益”なんて書くと固いけど、子どもがよりよく生きていけるように、より幸せになるように、わたしたち大人ができることはなんだろう、と。自分の経験や、これから学ぶ中で、子どもの利益につながっていくようなことを書きたい。

と思うのは、今の仕事の中でやはり”できない”ことが続いていることが大きい。来週に予定していた海の活動も、感染が広がっている状況を踏まえて、結局延期をすることになってしまった。

楽しみにしていた子どもの”楽しみ”が、またなくなってしまった。それは自分たちのせいではないけれど、どうしても、心苦しくなってしまう。延期の連絡の向こう側で、残念そうにしている顔が、どれだけいるんだろう。

できると思って進めてきても、またできなくなる。そのくりかえしは、自分自身にとっても結構なダメージがある。それでもできることを探すしか方法はないと、腹をくくるのだけど。

その”できること”の一つに、「子どもの利益になることを書く」ということがあるかもしれないなって。

もちろん、わたしのnoteの発信力はまだまだとても弱い。ありがたいことに少しずつ読んでくださっている方は増えてきているけれど、わたしが何か伝えたところで、それは自己満足じゃないのかと言われたら、確かにそう思う。

でも0よりはいい。と、思うしかない。やらないよりは、誰か一人にでも届く可能性があるなら、意味がなくはないんじゃないか。

子どもの目線や立場から見えている景色。子どもをまん中にしたときの、大人としての関わり方、関わるときの考え方、信念、などなど。
わたしの経験から伝えられることなんて本当にわずかだってこともわかってる。それが絶対的に正しいとも限らないし。

でも正しいか、正しくないかじゃなくて、少なくともこれまで出会った子どもの姿から見えたことや感じたことを、そのまままっすぐに伝えたい。それが子どもをとりまく人たちに届いて何かのヒントになり、そのまわりにいる子どもにプラスとなるなら、とても嬉しい。

ただ、子どもや教育に関するテーマのことだけ書き続けるのはしんどくなると思うので(笑)ゆるりと書く内容もこれまで通り。
でも今までより少しだけ、子どもの利益を意識して書けたらなと思います。

実は今日、わたしの誕生日なのです。
7月18日。
今まで以上に実感がなく、この日がやってきた。

ここ数年、転職してからかな。誕生日には毎年その年のテーマを決めて、1年取り組むようにしてた。

2016 「聴く」
2017 「伝える」
2018 「伝える」
2019 「考える」

というテーマで進んでおりました。

超ざっくりだけど、シンプルなテーマなりにいろいろな想いはあって。(ここでは省略しますが。)
でも意外と、ものすごく意識しているわけではないのに無意識下にはちゃんと根付いているらしく、わりとそれに沿った1年になっているような気がしてて。不思議だなぁ。

2020年はどうするか。ふと考えます。

今はnoteを書き続けていることが、自分の中では大きなできごと。そしてこれからもおそらく続けていく。だからそれを活かしたい。

よし、「考えて、伝える」にしよう。
2017~2019の合わせ技だ。

ざっくりすぎるかな。
これまでもざっくりだったから、いいかな。

昨年「考える」というテーマにしたのは、自分で考えているようで実は頭の中で別の誰かを思い浮かべてて、「その人だったらどう考えるかな」と考えてしまう節があって、それを抜け出したかった。

この「考える」ということ、少しだけできるようになった気がする。だから今年は考えるだけじゃなく、考えたことをもっと伝えていきたい。怖がらずに、発信していきたい。


どんな1年になるのかな。
これまで以上に見通しがもちにくい年になりそうだけど。

誰もが不安を感じたり、焦ったりしやすい時だからこそ、一つひとつの物事に対して、そして一人ひとりに対して、丁寧に、丁寧に、これからも。

そんなわけで、今日はここまで。

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