心に残る文章とは。

誰かの心に残る文章を書きたい。
そう願いながら、書いている。

では「心に残る」「伝わる」というのはどんな状態なんだろうか。読んだ人に、何かしらの変化を期待しているんだろうか。人の変化を促すような文章なんて、書けるのだろうか。


伝わるとは、覚えていること。
伝わるとは、忘れないこと。

人に伝えることを目的に書いているのならば、伝わる=何か残る文章を目指すべきではないのか。

大量のコンテンツがあふれている中で、忘れられてしまう可能性の方がはるかに高い。それでも自分が誰かの文章を読んで「心に残った」瞬間は、たしかに存在する。

だから自分だって、何かを残す文章を書ける可能性はほんの少しでもあるのだと、希望をもちたい。

どうすれば、人の心に残るような文章が書けるのだろうか。

7月下旬ごろ、池松潤さんはがくんさんが開催している「"アウトプット+SNS症候群" #レーダーチャート診断 」にエントリーさせていただいた。

私がエントリーしたのは「多くの人に読まれたい」人が対象のコースB。

まずGoogleフォームでの質問に答えていくと、「アウトプット診断」「SNS症候群」の結果を送ってもらえる。詳細な分析をするための質問の数々。こういった分析のシステムをオリジナルで作り上げて、機会としていろんな方々に開いているのはすごいな…と感動してしまった。

結果については、「アウトプット診断」は「読まれる」ための工夫がまだ足りていないようだった。「SNS症候群」は、どの数値もそんなに高くはなく、依存度としては低い傾向。

この結果を見るのみでは「そうなんだ」で終わってしまうけど、この結果を参考に、自分は何を伸ばしたいのかを考え、伸ばしたいところを意識しながら文章を書く中で、数値がどう移り変わっていくのかを観察することが大切なんだろうな、と思った。

池松さんからは、提出したnoteに対するフィードバックもいただいた。提出したnote以外にも、初期に書いたものから最近書いたものまで、テーマも幅広くたくさん読んでいただいて、とてもうれしかった。

以下、印象に残ったコメントを紹介させていただく。

「何を書くのか」とか
「どう書くのか」よりも
「何を問いかけるのか」が大事になってきていると思います。
音楽の「サビ」と「オチ」のような
起承転結の展開で「心に残る」文章

読んだ人の人生に「重なり合う」文章が生まれるから、
そのヒトの記憶に残るのでしょう。

それは
「何を問いかけるのか」
に通じることです。

「何を問いかけるのか」という部分が心に残る。これまで「何を書くか」「何を伝えたいか」ということばかり考えていて、「何を問いかけるのか」は、あまり考えていなかった。

「答え」よりも「問い」。
良質な問いは、人の思考を深く刺激する。

答えは案外すぐに忘れてしまう。「わかった」「そうなんだ」と思うのはその瞬間のみ。次の瞬間には別の”答え”らしきものが情報の波に乗って流れてくる。気づくとその前の「わかった」は流されて行ってしまっている。

「問い」をもつことで人は考え始め、そして考え続けることができる。自分が何かについて考えたことは、そう簡単には忘れない。"モヤモヤ"や"わからなさ"は「わかった」よりも、その先に行ける可能性を残す。

読む人に対して何かを問いかけるような文章を書けたなら、それは読む人の心に残る文章になっているのではないか。仮に文章そのものを読んだことは忘れてしまっても、「問い」が残ればいい。むしろ「問い」さえ残ればいいのかもしれない。

私は子どもの利益につながっていく文章が書きたい。だから何を問いかける(何を考えてもらう)のが子どもの利益につながるのかを、よく考える必要がある。「子どもとの関わり方」などのノウハウや方法論ではなく、もっと本質的な何かについて考えられるような、問い。じゃあ「本質的な何か」って何?というところを、もっと考えなきゃいけない。

誰かに対して問いかけるためには、まず自分自身に対して問いかけ続けることが大切だ。私はすぐに結論に行きつこうとしてしまう。「どっちが大事なんだろう?」と二極論的に考えてしまうことも多い。

でも、唯一の答えなんて存在しないのだ。いろんな人が置かれている状況を想像すればするほど、ただ一つの答えは存在しないのだとよくわかる。だから「よりよい未来に進むには、どうしたら?」という視点で、まだ存在しない答えを模索していきたい。

私が思うよりよい未来は、より多くの子どもがより幸せに生きられること。同時に、その周りにいる人たちも、幸せに生きられること。「きれいごとや理想論だけど」とはもう言わない。それは自覚しているからこそ、自分では言わない。

きれいごとや理想論に終わらないように、「言っているだけじゃん」とならないように、行動していきたい。こうやって文章を書いて伝えることも、行動の一つだと思ってる。ささいな行動かもしれないけれど。

フィードバックをもらえると、また一つ道が開けるような感覚がする。まさに「道しるべ」だ。以前にも「道しるべ」を置いてもらったことがあった。道しるべがあると、やはりほっとする。

同時に、道しるべを置いてもらったのに、前に進めているのだろうか?と時々不安になる。一度は刺さったはずのものが、それさえも日常の流れの中に流されて行ってしまうような、そんな不安。

これまでいただいたフィードバックは、「こっちに進んだら、よりいい文章を書けるようになる」という確信が持てるフィードバックだった。だから意識して、自分の心に刺し続ける。流されそうになったら、また戻る。

人の心に残るような文章を、いつか書けるようになる。
そんな淡い期待をもちながら、これからも進む。


池松さん、はがくんさん、レーダーチャート診断に参加させていただき、ありがとうございました。


そんなわけで、今日はここまで。



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