みんな、書こう。
身近な人にnoteを進めているけれど、なかなか理解してもらえない(笑)
こんなにいいことばっかりなのに。
みんな、書けばいいのに。
みんな、書こうよ。
ってこれを読んでいる人は、たぶん書いている人かな。
書く人が、もっと増えたらいいな。
いろんな角度から、向き合ってみた。
これまで書いたnoteをマガジンに整理していて、「書くこと」に関するnoteが少しずつ増えてきたことに気づく。
noteに文章を書くことは、今では毎日の一部になりつつある。
まだ初めて一年も経たないけれど、書くことのおもしろさ、良さ、怖さ…などいろんな感情に出会い、そのつど自分なりに向き合ってきた。
書き始めて何か変わった?と聞かれると、「変わったような、変わってないような…」というあいまいな答えになる。
変わるってなんだろう。
…考え始めると迷い込みそうなので、いったん戻ろう。
わかりやすい変化はないけれど。
「変わる」という表現が違うとすると、近い表現がないだろうか。
「これが変わった!」とはっきりと言える劇的な変化はないけれど、書き続けてきたことの、何らかの影響はあると感じる。
「満たされる」という感覚に近いかなぁ。
「良いエネルギー」が、体の中にたまっていく感覚。
それでわたし自身が、とても喜んでいる。
以前、「書くことは自分を肯定することだ」という内容のnoteを書いた。
そのときは、「自信がなくても、書いてしまえば肯定せざるを得ない」というちょっと荒療治?な考えだったが、なんだかその通りになってる。
書くことで自分を肯定できるようになり、それが「満たされる」という状態につながっているのだ。
書くことを、たとえてみる。
ただ、「満たされている」という状態は、たぶん変動する。
今「満たされているなぁ」と感じていても、ずっと続くわけじゃないことは、何となくわかる。
ただ、ここから「ゼロ」にはならないだろうということも、何となくわかる。
なんでだろう。
たとえば、わたしたちはみんな心の「コップ」を持っているとして。
その「コップ」に水がたっぷりと入っている状態が満たされていて、入っていない状態が満たされていない。
コップの強度は人それぞれ。丈夫なコップもあれば、ひびが入ったり、穴が開いているコップもあるかもしれない。
水をいくら入れても、もしコップに穴が開いてしまっていたら、どんどんこぼれていってしまう…。
たとえばね。
こんなふうに、たとえてみたとする。
そうすると、「文章を書くこと」は「丈夫なコップを作ること」に貢献しているのかもしれないな、と思った。
自分だけの、大切な心のコップ。
少しのことではひびが入ったり、穴が開いたりしない、強度があって丈夫な、たった一つのコップ。
それを心の中に持っていれば、もしからっぽになったとしても、新しい水を入れれば、いつかはたまっていく。
「満たされている状態が続かない」と思ったのは、コップの中に入っている水は、少しのできごとで上下するだろうと思うからだ。
落ち込んだり、傷ついたり、何もやりたくないと思うこと。
コップがからっぽになって動けない日は、生きていればやってくる。
ただ、コップに穴さえあいていないければ、また満たしていくことができる。
満たしていく方法は、人によって違うだろう。仕事をがんばる、好きなことをする、誰かに会う、おいしいものを食べる、よく寝る。わたしはここに「書く」ことも入る。
満たせる方法を知っていること自体、もちろん大切だ。でも穴が開いていたら、これらのことをやっても満たせない。
ありのままで、書こう。
だから、書く。
書いて、自分だけの丈夫なコップを作る。
書くことで、自分だけの丈夫なコップが作れる。
と、思う。
わからないけど、そう信じたい。
「自分の内側で感じたことを、言葉に表現して、形として残しておく」ということは、そういう効果があるのだ、と勝手に思ってみる。
うん、書くことってそんな感じだ。
書き続けて、自分の中にあるコップの丈夫さがより増している。だから少しのことでも「満ちる」という、そんな感覚がするんだ。
やっぱり書くって、すごくいい。
*
一方、自分が書いた文章をふりかえってみて、「背伸びしすぎているもの」や「自分らしくなく書いたもの」は、「丈夫なコップを作ること」には貢献しないのかなぁと思ったり。
それらは書いていて、そして読み返してみて、あまり心地よくない。
そういう文章は書き終わって公開したときに、満足感よりも「読まれるかどうか」という不安の方が大きいんだ。
だから、今の自分の等身大で、ありのままに書くことを、一番大切にしよう。
その先は、どうしよう。
ただ、今回の内容を書いてみて感じたことは、文章の表現力がまだまだ乏しい。
「こういう感じ…」と伝えたいのに、うまく言葉や表現にならない。それがまた悔しい。
書くことで満たされる。
けれどその先は、どうするのか。
もっと、言葉を、表現を、磨いていきたい。
自分が発している言葉は全部、今の自分にしか出せない大切なものだけれど、それはおそらく原石のようなもの。もっともっと磨いて、ピカピカにしていくこともできるのだろう。
原石のままでいいのか。磨いていくのか。それも選べる。
わたしはどうするか。
少しずつでもいいから、磨いていきたいな。
そんなわけで、今日はここまで。
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