奥が深いぞ、金曜ロードショー。
これだけいろんな動画媒体があふれている中で、
リアルタイム放送を見る意味って、なんだろう。
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先週の金曜ロードショーでやっていた「ジャングルブック」。
初めて見ました。
おもしろかった。
元々はアニメなんですよね。
アニメでもちゃんと見たことなかったかも。
実写版では、男の子(モーグリ)以外すべてCGだそうな。
すごすぎる。
登場する動物たちがなんとも愛すべきキャラクターで、初めから最後までワクワクしていました。
特に、モーグリがオオカミの群れを出ていかなければならなくて、人間の村に向かう途中で出会った熊のバルー。
「ハチミツをとってくれ~~」とモーグリに頼み込む姿がかわいすぎました。あれは反則や…
(思い出すだけでにやける)
同じくモーグリの友達の黒ヒョウ、バギーラはめちゃくちゃかっこいい。
姿もかっこいいし、立ち居振る舞いもかっこいい。
モーグリが、キング・ルーイという超大きいサルの所に連れて行かれた時、バルーとバギーラが連携して助け出したり、モーグリを虎のシアカーンから守ろうとみんなで立ち向かうシーンで、まずバルーが食ってかかったりして(カタカナ多い&似た名前でわけわからなくなってきた)、とにかく人間の子を守ろうと動物たちが必死で、ぐっときました。
でもね、超大きいサルのキング・ルーイもちょっとかっこいいと思ってしまった。。悪役なんだけどさ。
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おもしろいな~~と思ったのは、人間が扱っている「火」を動物たちが「赤い花」と表現していたこと。
そっか。「火」っていう名前、概念は知らないんだもんね。
何かはわからないけど、赤くて、熱くて、森を焼き尽くす、恐ろしいもの。
それが「赤い花」。
そもそも「火」はいつから使われているんだろうか。
「火」と名付けたのは誰なんだろうか。
「火」と名付けることで、恐怖が減ったのだろうか。
そんなことがちょっと気になった。
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バギーラは初め、モーグリが「道具」を使うことを認めていなかった。
それは、オオカミに育てられた子どもだから。
オオカミは道具なんて使わないから。
でもバルーは「道具を使ってもいいじゃないか、モーグリは人間の子どもなんだから」と認め、バギーラも最終的には道具を使うことを認めた。(そのおかげで、虎のシア・カーンに勝利!)
オオカミはたしかに道具は使わないけど、モーグリは人間。
道具を使っても、使わなくても、モーグリはモーグリ。
でも、オオカミに育てられたという事実は変わらないし、オオカミの仲間であることも変わらない。
…
「多様性を受け入れる」ということの究極を見たような気がした。
見た目や使用する道具にとらわれず、
もっと奥の方にある「命」という部分でお互いを受け入れ合う。
そうやって生物の種類を越えてつながり合うことができるんだ、というメッセージが含まれているような気がした。
もちろん映画だけどね。
人間と動物は実際にはおしゃべりできないから。
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放送をリアルタイムで見ると、何となく「臨場感が増す」ように感じる。
「見逃せない!」みたいな、少しのスリル感。
もちろん録画すればいつでも見られるんだけど、うん、何となく。
録画とか動画媒体とか充実していつでも見られるようになったことは利便性としてはとてもいいけど、「今この時間に見ること」の価値は下がってしまったのかな…と。
いつでも見られるから、いつでもいいやとなってしまう。
(だからこそ楽しみな時間は自分で設定できるんだけどさ。)
セミナーとか講座とかも、録画されていつでも見られるものも多いけど、生放送やライブ配信で見る方が、何となく好き。
あとは、同じ時間帯に同じものを見ている人がいるんだな~~と思うだけで、少しワクワクする気がする。
この感覚、わかる人いないかな?
とか言いながら、動画の恩恵にあずかっていることも確かなんですが。
そんな今日も金曜日。
バックトゥーザフューチャーだ。
リアルタイムで見てみよっかな。
そんなわけで、今日はここまで。
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