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無心になる時間

もうこんな時間なのに、ブラウザを一度は閉じたのに、さあ寝る準備しようとならないから、とりあえず書き始めてみました。最近、夜のひとりごと系が多いな。

疲れたなぁ、もう眠いなぁ、そう思いつつカタカタ文字を打つのは、前にも書いた気がするけれど「白い画面にカタカタ文字が並んでいく感覚」そのものが好きだから。自分の中にある何かが出されている感覚が好き、ということでもある。

吐き出したい何かがあるわけじゃない、整理したい何かがあるわけじゃない、そういうときでも、たとえ中身がなくても、自分の中にある何かは出されているんだろうなと思う。はて、出されているものはなんだろう。

「気」が出るのかな。良い気、悪い気があるとしたら、悪い気の部分。疲れたとか、めんどうとか、イライラとか、もやもやとか。直接的に文字にして吐き出さなくても、文字が並んでいく様子を見ながら、すすすーっと浄化されていく感覚はある。スピリチュアルな感じだなぁ。

つまるところ「集中」してる感覚が心地いいのだも思う。この瞬間だけは、ここに集中できる。文字を並べて文章にしていくことに集中できる。ピアノの練習や、サックスの練習してたときに近い。無心になれる。

ただ、文章書くときはいつも無心になれるわけじゃないんだよなぁ。がんばって書こう、いい文章書こうと思うときは、「いい文章書く」ことを考えるから無心にはなれない。あてもなく、ただただ「書く」ことのみを目的とするときは、次の文字、次の言葉のことだけを考えればよいのだから。うん、やっぱりジグソーパズルをしてるときの集中に似てる。

あてがないから終わらせ方もわからないのだけど、書いてみてやはり浄化された感覚がするから、こういう書き方も悪くないと思う火曜日の夜でした。

書くこと、好きです。




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