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「なるほどな」の落とし穴

誰かから聞いたことや教えてもらったことに対して、そのときは「なるほどなぁ」と思っても、案外すぐに忘れてしまう。

そう思ったのは、「そういえばライティング講座受けたなぁ」と思い出したから。半年ほど前に、けっこうなお金をかけて。12回くらいあったかな。悲しいかな「受講したこと」は思い出せても、肝心の中身をほとんど思い出せない。いやぁもったいない。もちろん資料を見れば思い出すけれど、今の自分の身になっているかと考えるとハテナが浮かんでしまう。

その講座の内容自体はとても濃かった。講師陣の教え方もわかりやすいし、軸となる考え方から具体的なノウハウまで、ライティングに関するエッセンスがぎゅっと詰まっていた。だから講座の内容が悪かったわけじゃない。

じゃあどうして忘れてしまうのか。
思うに「なるほどな」に落とし穴があるような気がした。

講師が話していることを聞いて、言ってることの意味が一定理解できると「なるほど」と思う。そっかそっか、わかったわかった、と。一瞬、自分の中に何かが蓄積されたように感じるけれどこれはたぶん錯覚で。本当は「わかった」瞬間に頭の中がいったんシャットダウンするのだろう。蓄積されたようで、実はほとんど残ってない。何かの拍子に出てくるのかもしれないけれど、少なくとも意識下にはないなぁ。

そんなにすぐは、わからないのだと思う。

教えてもらっただけ、聞いただけでは、言われたことの意味を理解するに留まり、真の「わかる」には至らない。教えてもらったことから自分なりに考えて、実践してはじめて「わかる」の入り口に立てる。つまりは「やってみる」経験がないと、自分の中には深く根付いていかないのだ。

どんなにいい講座や研修を受けても、教えてもらったことを栄養に「やってみる」ことをしないと、筋肉にはなっていかない。「ああ、おいしかった」という感想で終わり、そのときは満足でも、そのうち食べたことすら忘れてしまう。もちろん自分がそれでよいのなら、よいのだと思うけれど。

自分が研修をつくる側になることもあるから、研修の時間内で参加者に深く残るような形や流れを考えたいという気持ちもある。でも全ての責任をつくる側で負うのは無理で。責任はあくまで半分半分なのだ。参加者に何も残らない講座や研修になったとしたら、内容の問題もあるけれど一人ひとりのマインドの問題でもある。教えてもらったことを活かして何かをやってみようと思わない限りは、いい内容でもどこかへ流れてしまう。

もしこれからお金や時間をかけて講座や研修を受けるのなら、その後の「やってみる」もセットに考えたいな。

ああ、ライティング講座。

資料を見返して、思い出すことから始めよう。




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