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2020年6月の記事一覧

教会で躓いたあとに

 今朝、夕食で残ったサルサを食パンにのせて噛りながら、ふと気づいた。あ、そうか。教会で行き詰まったから、教会の「外に」ぼくは神の恵みを見出してきたのか…。  「神の民」と呼ばれる人々の中で行き詰まる。当然、目は外に向き、教会の外なる「世」に恩恵を見出してしまう。世の富を拒否したイエスに比して、果たして、それは罪になるだろうか。  たしかに、ぼくは「教会に躓いた」。なぜなら、ぼくは神を疑ったことがないからだ。多かれ少なかれ、プロテスタント教会は、個々人が信じるための共同体で

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「信じること」の抽象度

 若い友人と「幽霊をみる」ことについて話した。折りしも『山怪』第2巻を買ったばかりだ。同書は「山」にまつわる怪異譚で、オススメの一冊である。  さて、友人と「いわゆる怪異が山や海ではモノノケになるのに、街中だと人の霊になるって不思議よね」という話になった。  端的に山海では動物のイメージが人間より強いからだろうか。つまり、所詮「幽霊」なんてイメージの産物なのかもしれない。寂しい話だ。  たとえば、言語、国籍、場所、時代を問わず、人類が共通して目撃する幽霊やモノノ怪がいれ

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粗あらのプレゼント

そういえば、と思って、温泉帰りに自宅とは少しずれる方向に車を走らせた。 そろそろだったかもしれない。あのへんのあじさい。 道はうろ覚えだが、ナビがあるから、とりあえず進む。小さな集落で、道行く人を楽しませるために植えたあじさいの道。 スマホで写真はめったに撮らないのだけど、今日は車を路肩に停めてちょっと撮ってみた。 私にたいせつなものをくれたたいせつな人が、確かあじさい好きだったな、と思って。 縦を横にするのもわからないくらいの画像扱いのど素人。 これでやりかた合ってい

わたしが教義に言及しない理由

わたしは前任地でもツイッターをしていたが、今とはちがって、もっとずっと尖ったことを書いていた。論争的だったのだ。今のアカウントにしてからも、当初は今より攻撃的だったと思う。 自分なりにキリスト教の書籍を読み、教理史や教会史、組織神学などについて学んだことをツイートしたりしていた。それだけならいいのだが、余計なお世話なことに、「だから~な信仰理解は〇〇的な理由から間違っている」といったことまで呟いたりしていた。 当たり前だがそんなことを言われて嬉しい人はいないのであって、わ

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人生でうれしかったことランキングでぶっちぎりの第一位になるようなことが舞い込んできた。死ぬ間際にも思い出すだろうと思うようなこと。おおきなおおきなほんとう。いつまでもこころに刻みたい。うまく言えないけれど、生きてきたご褒美なんだと思うことにする。ようやく前に進めそうな気がする。

教養と読書

 さいきん「読書したい」と切に思うようになった。とはいえ、ぼくの生活環境では、せいぜい週に1冊読めれば上々である。つまり、週に2~3回、2時間か3時間、活字に向き合う時間がとれたらかなり良い。その他は生活のために稼がねばならない。また、このように趣味の駄文をしたためたり、人に会ったりやら観たい映像やらがある。  これはおそらく随分マシな方で、上司や友人らを見ていると、本を読むなり思索にふけるには、時間が足りない。毎日会社へ行き、残業があり、配偶者との関係があり、育児がある。

褒めちぎり合う部屋

※スキ(ハートボタン)を押すと「インターネットあるある占い」が表示されるように設定してみました。是非お試しください。 ◇ここから本文◇ さっそく結論から書いてしまうと「手っ取り早く承認欲求を満たしたい/褒められたい連中は我輩のオープンチャットに入れ!(ブハハハ」そういうことである。 なんでデーモン小暮っぽく書いてしまったのかは我輩にもわからないが、以下においては当チャットの概要を説明する。 ちなみにオープンチャットとは「匿名で参加できるグループLINEみたいなもの」と

適当なピクルス

青梅やらっきょうが出る頃、毎年ピクルスを漬けている。 キュウリ、セロリ、ミョウガは外せない。あとは気分とタッパーの隙間に合わせてにんじんや玉ねぎやパプリカなど。 ざくざく切って湯通しして、よく洗って乾かした筒型のタッパーに詰める。 ピクルスは大学生の頃からやり出したのだが、昔はちゃんと酢や砂糖を鍋で一度沸騰させて液を作り、容器も煮沸消毒した耐熱容器で、とかやっていた。台所に広がるむせるような酢の香りも、悪くないと思っていた。 それが年々楽を覚えて、今年はタッパーに野菜を

実家の話

先日、イオンに行ったら地元の幼稚園生の絵が飾ってあった。 そうか、世の中父の日か、と思って絵の展示を眺めていたら、標題が「大好きな家族の絵」となっていた。 お父さんの絵、ではない。父のいない家も多いということなのだろう。 私はこのような家族愛やその正しさみたいなものを確かめるようなイベントは少々苦手なのだが(それは人に嘘をつかなくてはいけなくなるから)、「父の絵」ではなく「家族の絵」とした主催者の少しの配慮に、板挟みの中での小さな優しさを見た。 (※以下、あまり楽しくはない

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渡部不倫問題に見る「民害」につきまして

渡部のやったことはまあ倫理違反なので怒られて然るべきなんだけど、付け加えたいこととしては 1.テメーも不貞行為の共犯のくせに、週刊誌に垂れ込んで被害者面してる売女も大概クソ 2.仕事を長期で奪うのはやりすぎ の二点。 2.に関しては「私たちはずっと希ちゃんの味方だもん!」みたいな連中が率先してやってるのが鼻白むわな。そこまでの制裁を佐々木希が本当に望んでいるのか否かはよく考えるべき。 そりゃあ子育て中に派手に浮気されたら腹も立つに決まってるけど、大黒柱の収入が激減す

「真剣」でも「深刻」にはならないこと

 ツイッター論壇では十年一日のごとく、昨日も激しいジェンダー論争が交わされていて、作業の合間にそれを眺めながら、いやあ厳しいなあと腕組みをしたりなどしていた。  こういうことは頭が回る人が考え詰めれば考え詰めるほどドツボにハマりがちな問題で、他属性の人たちの立場や環境や思考様式を想像して言わば「エミュレーション」をすることができるだけの知性と想像力と誠実さを備えた人ほど、最終的には「構造問題」に行き当たって、にっちもさっちも行かなくなってしまう。しかし、ならば黙っていればそ

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なぜ詩が好きか

私は詩というものが好きだ。 書くのも、読むのも、うたうのも。 ずっと分からないで好きだった。 なんでか分からないけど好き。うまく言えないけど、なくちゃいけないような気がする。 そんな説明しかできないでいた。 大学のときの専門も詩だった。 歴史、修辞、音韻、いろいろ学んだが、いつも腑に落ちない感じがしていた。 文学理論の研究をしながら、ほんとうにやりたいのはこういうことじゃないような気がしていた。 なんで好きなのか。なんで惹かれるのか。なんで求めるのか。なんで書くのか。な

昨日は一人前夜祭をして少しお酒を飲んだ。久しぶりの気怠さに、健康診断が終わったからいいのだと言い訳をする。 今日は午後年次をとって、例のライブ鑑賞の準備をする。 ふわふわした気分。完全に浮かれている。 現実逃避もいいところだが、たまにはこんな日があってもいいのだと思う。