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2020年2月の記事一覧

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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閉鎖病棟に入る(8)

対話する相手は自己だけではなかった。認知行動療法ノートは診察のたびに、医師にも見せた。医師はそれを注意深く読み進めながら、次々に指摘するのだった。「先生(彼はわたしを「牧師」と見なし、先生と呼んだ)、なぜこんなふうに感じたのですか?」「ここでこのように行動したのは、どうしてですか」。そこには「もっと他に感じ方があったのではないか」「他に取り得る行動の選択肢があったはずだ」というニュアンスが明らかだった。 では、どうすればよかったのか。当たり前だが医師はそれを教えてはくれない

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「明るい」人は助けられる

 もう大昔の話だけど、友人関係にある二人のうち、一人は徐々に社会的に評価されるようになり、様々な形で「認められ」て各所に露出するようにもなったのだけど、もう一人のほうはそれに比べると鳴かず飛ばずで、そうこうするあいだに二人の仲もなんとなくギクシャクしているのを見ていたようなことがあった。  その二人の専門的な分野における能力差はさほどに大きくなかったというか、見方によっては鳴かず飛ばずだった人のほうが優れていたところもたぶんにあったかもしれないから、二人の社会的な評価の差は

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創造と進化

 「人類」という動物の強みとして「走る」「投げる」「食べる」ことがあるという。持久力、空間認識、分類の力に長けていた猿は、いつのまにか惑星表面を覆うようになった。  これは進化の果てなのか。はたまた神の創造の帰結か。それとも「創造と進化」は、ともに神のみわざなのか。答えは各人各様に任せたい。  朝食にしようと、昨晩つくった鶏すき鍋の残りを雑炊にして、ポン酢をかけながら思った。毒性が強く、他の動物が食べられないものを人類は食べることができるという。たしかにそうかもしれない。

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大人になること

子どものころ、私にとって世界は、興味がある(=すごく好き)と、興味がない(=どうでもいい)の二種類しかなかった。 興味があるものについてはのめりこんでもうそれ以外の選択肢なんてありえない、となるが、興味がないものや自分の満足を越えた部分には、ものすごく適当でいい加減になり、手抜きもひどかった。嫌いという感情はほとんど持たず、何かを選ぶときは大概絶対の一択かなんでもいいかのどちらかで、たとえば何かの希望を第三希望まで書くとしたら、第一希望を三回書くか、白紙かのどちらか、という