閉鎖病棟に入る(8)

対話する相手は自己だけではなかった。認知行動療法ノートは診察のたびに、医師にも見せた。医師はそれを注意深く読み進めながら、次々に指摘するのだった。「先生(彼はわたしを「牧師」と見なし、先生と呼んだ)、なぜこんなふうに感じたのですか?」「ここでこのように行動したのは、どうしてですか」。そこには「もっと他に感じ方があったのではないか」「他に取り得る行動の選択肢があったはずだ」というニュアンスが明らかだった。

では、どうすればよかったのか。当たり前だが医師はそれを教えてはくれない。もちろんわたしにもさっぱり分からなかった。分からなかったというのもあるし、分かりたくなかったというのもある。わたしのプライドが理解を進める上で邪魔をした。医師にやり込められたくない、自分を正当化したいという想いが先に立った。

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