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「明るい」人は助けられる

 もう大昔の話だけど、友人関係にある二人のうち、一人は徐々に社会的に評価されるようになり、様々な形で「認められ」て各所に露出するようにもなったのだけど、もう一人のほうはそれに比べると鳴かず飛ばずで、そうこうするあいだに二人の仲もなんとなくギクシャクしているのを見ていたようなことがあった。

 その二人の専門的な分野における能力差はさほどに大きくなかったというか、見方によっては鳴かず飛ばずだった人のほうが優れていたところもたぶんにあったかもしれないから、二人の社会的な評価の差は、能力的な優劣の結果であるというよりも、身も蓋もない言い方をしてしまえば、「人格的」なところに起因する部分が大きかったように思う。

 鳴かず飛ばずだった人のほうは、当時のブログ記事などで「なぜ自分は認められないのか」といったような愚痴をずっと書いていたりして、そうした言動をもう一方の人の普段の態度と(もちろん私の心の中だけで)比べて考えてみたりしたところ、「やはり人間は明るくないと、なかなか周囲に助けてもらうことも難しいのだなあ」と、しみじみと思ったりしたものである。

 このように考えたことは、(実践できているかどうかは別として)いまでも私の人生観の基本を形作っている。ただ、急いで注意しておかなくてはならないのだけど、ここで言われる「明るい」は、世の中で一般に考えられているそれとは少しばかり意味が異なっている。たとえば毎日のように賑やかな場所に出かけたり、いつも大声で話していたり、派手な服装で踊りまくるのが好きだったりしたからといって、必ずしもその人が私の言う意味で「明るい」とは限らないし、また逆にヨレヨレの服装で部屋から出ない生活を何日も続けているからといって、そういう人が一律に「暗い」人間だとも、私は全く思わない。私が言っている「明るい」というのは、そのように外形から一義的に判断できるようなことではなくて、振る舞いの形式がいかなるものであろうと、常にそれに伴い得る、本人の人生に対する基本的な態度(エートス)に関する描写なのである。

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