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夫との恋の終わり

「東京ラブストーリー」
1991年に放送され、社会現象化するほど人気になった月9ドラマである。

いくつかの印象的なフレーズや小田和正の主題歌などは知っていても、そう言えばちゃんとストーリー知らないな〜と思いたち、おこもりの日々の今、最初から見てみることにした(なんせ当時7歳だったしね)

1話め2話めは、ドラマの展開そのものよりもバブル終焉期の日本の情景が面白く、スプモーニ片手にそのアナログさを小馬鹿にしながら鑑賞していた。
フロッピーディスクに、トランシーバーみたいな携帯電話、そして会社にかかってくる私用電話の数。いや、もはやギャクじゃん!と完全に失礼な態度で見ていたのだが、さすがは一大ブームを起こしたドラマである。
そのうちすっかりストーリーにハマり、一気見したのは当然のことながら、原作の柴門ふみの漫画全巻、そして主人公たちの25年後を描いた「東京ラブストーリーAfter25years」まで読破した。
(とことんハマるタイプ)

漫画を買ってよかったな〜と思ったのは、巻末に掲載されている作者のコメントを読めたことである。これが中々この物語の本質を感じる内容で、いいのである。

特に私が好きだったのは、第1巻のあとがきである。

ラブストーリーとは、恋物語です。
恋についてなにかひとつ確実なことが言えるとしたら、"恋は必ず終わる"ということです。

漫画は主人公のカンチがさとみと結ばれて、一見ハッピーエンドにも思えるが、ドラマはリカをヒロインとして描かれているため「恋の始まりと終わり」を強く感じる見せ方になっている。

何年も憧れてきたマドンナ的存在のさとみへの気持ちを捨てきれないまま、それでも天真爛漫なリカに惹かれていくカンチ。
どんなときも全身全霊、魂全てをかけてカンチを愛するリカ。
その恋の終わりは、ドラマ的な脚色とはわかっていながらも、切なく涙を誘われた。
嫌いになったわけじゃないのに、少しだけ歩いている方向が違っていることに気づいてしまう。そんな時私たちは恋を終わらせるのだ。

別離を選ばなかった場合でも、大抵の場合「恋」はどこかのタイミングで終焉を迎える。

例えば、結婚。
夫婦というパートナーの形を選んでなお、お互いに対して恋心を持ち続けるケースは中々稀である。

私と夫は現在交際から7年、結婚してから5年共に生きているが、未だにものすごく仲がいい。
たまには子供を預けてデートもするし、言葉や行動で相手への気持ちを伝えるのも忘れない。

だが「恋」が継続しているか?と問われると、肯定したいところだが、現実は難しい。

デートの前日に「明日何着ようかな」とわくわくした気持ち。
肩が触れ合うだけで、妙にドギマギした気持ち。
会いたくて会いたくて震えた気持ち(ネタが古い)。
出逢って5年も10年も経って、お互いにこんな気持ちを持ち続けているカップルがいるのであれば、はっきり言ってめちゃくちゃ凄い。

いや、私たちだってラブラブだし、まだお互いに恋してる!と意地をはりたいところだが、全裸で家中うろつきまわり裸ダンスを踊ったり、健康状態確認のために排便状態を報告したりしていることを鑑みると、言葉を飲み込まざるを得ない。

あーなんだか切ないなぁ。
恋ってどんだけ好きでも終わっちゃうんだなぁ。
センチメンタルさに襲われる現実だが、柴門ふみは救いの言葉を残してくれていた。

恋が終わった時、残るものは愛であったり憎しみであったりします。それは各々の心がけ次第であります。

なるほど、恋の終わりは新しい世界の始まりなのかもしれない。
そう言えばまだ入籍していないころ、彼氏だった夫が私にこう言った。

「僕は君のこと、もう彼女だとは見ていない。というか、彼女でもあるんだけど、家族だし、親友だし、戦友だし、パートナーなんだ」

思えばあの時、もう私たちの恋は終わっていたのかもしれない。
でも、私はこの言葉が心の底から嬉しかった。

愛は「愛している」という言葉の中に存在するわけではありません。
日常の断片に時折見え隠れする愛の姿をなんとかとらえてコマに描くことができれば、といつも考えています。

そうだ、柴門ふみもそう言っていたじゃないか。
思えばこの時私は「愛している」の言葉よりも強い愛を全身で感じていたのかもしれない。

恋が終わるのは悲しいことばかりではない。
それは形を変えて、進化していくのである。
だから、悲観なんてしなくていい。
結婚したら、男女でいられなくなるのが嫌だ。女として見てもらえなくなる。トキメキを失ってしまう。
確かにそうかもしれない。
だけど、何かを失った代わりに得たものがそれ以上に素晴らしい場合だってあるはずだ。

最後に「After 25years」のあとがきから抜粋する。

かつては「男女の恋愛関係」だったものが
人生の時の流れを経て、
別の形-「友情」や「戦友」-に
変わっていくのだということを、
25年経った今だからこそ、表現したいと思いました。

出会いも別れも、無駄なものはひとつもない。
わたしたちは、一つひとつの恋愛から何かを学び、そして成長していく。
全ての思い出が自分の人生の一部になる。

満面の笑みで「かーんち!」と叫んだリカの姿
を反芻しながら、センチメンタルな夜を過ごす。
明日にはそんなの忘れて、泥だらけになる子どもたちとまた格闘だ。

本代に使わせていただきます!!感謝!