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クソ上司だった私が初めて知った「できない人」の気持ち

私はずっと仕事が好きだった。
そして得意でもあった。
わりと器用に何でもこなせてしまう性格のため、何をしても比較的早く成果を出すことができた。
(結果的に職種が適性にあっていただけと言う話でもある)

そんな私が、唯一ずっと「やりたくない」「できない」と避けてきた分野の仕事がある。
それが「マネージメント」である。

20代の頃はマネージャー(管理職)どころか小さなチームのリーダーでさえ「絶対にやりたくない」「やるくらいなら会社を辞めます」とまで言い切ってきた私が、ついにその壁を取り除くべくマネージメントに挑んだのが33歳の頃である。

なぜ、マネージメント業務に挑戦することになったのか、そして苦手意識100%だった私がその後どうなったのか?
今日はそれについて書いてみる。

ちなみに自分で言うのもなんだが、プレイヤーとして優秀なメンバーというのは同じ悩みを持つケースが多いように感じる。
このポストがそんな人の何かしらの参考になれば幸いである。

私がマネージャーをやると皆が不幸になると言う呪い

まず、なぜそこまでマネージメント業務が嫌だったのか。

話は20歳の頃、接客業をやっていた時に遡る。
コミュニケーション系の仕事が得意だった私は、フリーターとして色んな飲食店で働いていた。

ただのバイトなのに、お客様から連日のように心付けを頂いたり、「あなたの電話接客が素晴らしすぎてここに宴会を決めました」などと絶賛されたりしながら、中々陽気に働いていた。

そしてとある日、日本酒バーのオーナーから引き抜かれて、いきなり店長をやることになった。
まだ20歳か21歳の時だった。
「お前がうちの店に来てくれるなら、店長にする」という突然の熱烈オファーに驚いたことを覚えている。

私は昔から変に義理堅いので「今の店のオーナーに申し訳ないからできません」とお断りしていたのだが、これまた突然経営不振でそのオーナーが失踪してしまい、それならば…と引き抜き先の方に移ることにした。

客席数約50席くらいのその店は、厨房に3名、ホールに10名弱のスタッフが在籍していた。大学生バイトなども数人いたが、ほとんどは自分より年上のメンバーたちばかりだった。

突然小娘がやってきて「今日から店長やるから」と言われたメンバーたちもやってられない感があったのだろう。とくに軋轢があったわけでもないが、殆どは間も無くして店を去って行った。

数人のバイトをまた採用し、引き続き「店長」としてやっていくことになったのだが、これが驚くくらい向いていなかった。

相変わらず、自身の接客には自信を持っており、月末の売上が足りない月には、自ら街へ出てキャッチセールスをしてお客様を捕まえたりもしていた。(これまた得意だった)

ときには着物を着て「ママ」と呼ばれながら働き、深夜は馴染みの客ばかりなので、各テーブルにご馳走してもらった自分のお酒をおきながら(ちなみに私はお酒があまり飲めないので半分くらいはジュースやお茶。笑)卓を回って顧客満足度と売り上げをあげるというホステス的な動きまでこなしていたことを覚えている。

だが、店長の役割としては最悪だった。
この当時はまず「マネージメント」の意識すらなく、自分が何をすべきかもわかっていなかった。

最も罪深いのは「何で皆上手にできないんだろう?」と心のどこかで、スタッフのことをバカにしていたことである。
自分が特に習ったことがなくてもその仕事について「自然にできて」しまったため、そうではない人の気持ちが理解できなかったのだ。

え?だって、普通に考えたらできるくない?
お客様の気持ちになったら、そんな対応しなくない?

と、私は自分の考え方や姿勢が「正しい」と信じて疑わなかった。
それでも組織としてうまくいっていない感だけは感じており、そのストレスを完全に他責にしながら生きていた。
オーナーが悪い!と詰め寄って怒鳴り合いのケンカをしたり、料理長と大揉めして店の看板を蹴り飛ばしたり(ダメ、ゼッタイ)
「そんなスタンスで働かれると迷惑だからもう来なくていい」とバイトの子を頭ごなしに叱責してクビにしたりもした。
客観的に考えて彼らに問題があったのも確かだが、その事象に対して冷静に向き合うことをしなかったし、何より自分を変える努力をしていなかった。

今考えると暴君以外の何者でもないし、思い出すのも恥ずかしい黒歴史である。

書くのも正直辛いのだが、ここからも私の愚行は続き、その後働くことになった大手広告会社や、料理サイトの会社でも私はことごとく、新人を追い詰めるクラッシャーとして存在していた。
(それでも何故かいつも教育担当を命じられた)

私は仕事が好きで、店長をしていたときは昼の12時から朝の8時まで働いていたこともあるし、広告会社のときも、目的のためなら連日の徹夜も辞さなかった。
お客様やクライアントに喜んでもらうため、成果を出すためなら身を粉にして働くのは当たり前で、それが普通でしょ?
皆もそうだからこの仕事を選んだんでしょ?と自分の価値観を人にも押し付けていた。
冷静に考えると相当ヤバイ。

もちろん次々と精神的に追い詰められていく後輩たちをみて、自分でもそれがいいことだと思っていたわけではない。
ただ、どうしても自分の仕事の理想との乖離を感じると、「プロなら耐えろ」「お金もらってるんなら頑張れ」と根性論に走りがちで、甘さを許せない気持ちが優ってしまい、自分の感情をコントロールできなかった。

だからこそ人を不幸にしたくなくて、「絶対に誰かの上には立ちたくない」と言い続けてきたのだ。

30代になりナリで仕事をしている自分が嫌になった

そんな私がマネージャーに挑戦することになったのは、長男を産み、仕事に復帰して数ヶ月経った頃だった。

私は自他共に認める「成長ホリック」であり、仕事に対して何かしらの成長実感を得られないと、それを続けることができない。

なので、職場で自分が安泰なポジションを獲得したり、そんなに苦労せずにいい給料がもらえるようになったりすると、いても経ってもいられなくなって、転職を決意してきた。

ああ、何の不満もないけど、ここにこのまま滞留していたら私はダメになってしまう!
そんな恐怖感に苛まれ、持っている全てを捨てて自分を苦しい環境に置きたくなるのだ。(ドMなのかな…)

長男出産の時は、30歳を超えて全く違う分野へキャリアチェンジしたこともあり、刺激はあり、成長の実感も感じられる日々ではあったのだが、どうも自分が「仕事をこなす」ようになっているような気がして漠然と不安を抱えていた。

できないこと、わからないことがあるということは、その分伸び代があるということなのだ。

何となく何もかもできるようになっているという状態は、私にとって「終わりの始まり」にしか感じられなかった。

そんな折、編集や新規サービス開発を担う部署のマネージャーをやってみないか?と上司に命を受けた。

今までは「絶対に嫌です!」と頑なに言ってきた私だったがそう言った背景があり、私の次のチャレンジはここしかないかもしれない…と思い「是非やらせてください」と即答していた。

目標は「誰かを潰さないこと」

マネージャーになって、私はバイトの子も含め6-7人の部下を持つことになった。
そんなに大きな組織ではないが、長々と述べたとおりとにかくマネージメントに苦手意識がある私としては、日々が戦いであった。

面談で泣かれたこともあるし、「もっと共感してほしい」「褒めてほしい」と言われて反省したこともある。(元来私は自分に厳しく、人に厳しいタイプ。且つ、叱責されるとやる気が出るタイプ)

日々、内省と改善の繰り返しで、マネージメントの本を読んだり、尊敬する人に教えを乞うたりして必死であった。

とにかく誰かを不幸にしてはいけない。追い詰めてはいけない。その意識だけは常に念頭にあり行動していたが、それでも、私の下についた新卒の子などは、おそらく同期の中でも1番厳しく育てられたと思う。

「できない」という大きな発見

マネージメントをやってみて、1番よくわかったのは予想通りではあるが「自分がこれを"感覚"ではできない」ということだ。

接客、営業、編集、ディレクターといろんな職についてきたが、どれも少しは勉強もしたが、自分のセンスで何とかなってきた。

だからこそ「できない人の気持ち」が一切わからなかった。

だが、マネージメントをやってみて初めてその壁にぶち当たった。

「あ、私本当にどうすればいいのかがわからないんだ」
これは偉そうだが、私にとっては初めての感覚で、実に大きな学びであった。

「できない」が、「どうにかするしかない」。
「どうすればいいのか」の方法を何とか見つけるしかない。

それで、本を読んでそれを愚直にやってみたり、部下のタイプを理解して、それぞれにあったコミュニケーションをするようにしてみたり、未だに100%うまくできているという自信はないが、やれることは懸命にやったつもりだ。

育児は最高のトレーニング

次男を出産して仕事に復帰し、今私はまた違う組織でリーダーをしているのだが、ようやくマネージメントの仕事のキモやコツというものが感覚的にわかってきたように感じている。

一度マネージャーにトライしたという経験も大きいが、最も私を変えてくれたのは楽しくもしんどい「育児」の経験だった。

何となく想像がつくだろうが、マネージメントが苦手な私は、育児ももちろん苦手である。

とくに合理的な解決を導けないという点が最も辛い。
正しさなんて子どもたちの前では、何の意味もなさないのだ。

私は妊娠中から、出産後までさまざまな育児本を読み漁った。
子どもへの接し方、男の子の育て方、モンテッソーリ教育…
本だけでなく、SNSやyoutubeで子育てに関するtipsを発信するチャンネルは日々チェックして知識をためている。
アンガーマネジメントの講座なども受講した。

が、ここでもこの壁にぶち当たる。

「わかっているけど、できない」

感情的に叱るのはダメ。そんなのわかってる。
まずは子どもの気持ちに共感してあげて。そうだよね、その方がいいよね。

わかってる。どの専門家も似たようなことを言ってるし、そうすればいいことはとっくにわかってる!
でもできないから悔しいし、辛いのよ!!!

ロジック的に考えれば
「知る」→「わかる」→「できる」
という方程式が成り立つのである。

私はこれを疑わず、今まで言っても教えてもできない部下たちにめちゃくちゃ苛立っていた。

「いや、わかったんでしょ?じゃあ何でできないの?意味不明なんだけど」というのが私の本音だった。

これが苦手なマネージメントや育児をすることで、初めて実感できたのである。

「こうすればいいというのはわかっているのに、なぜかできない」と。

そして自らの言動を深く反省した。
「わかっているのにできない」人に対して「なぜできないのか」や「どうやったらできると思うのか」なんて問い詰めても不毛なのである。

だって、理解はしているのだから。
何よりできない本人が本来は1番もどかしいのだ。

ネットの普及で、私たちは情報を容易に取得できるようになった。
youtubeやインスタなとで、簡単に「プロ」のアドバイスを知ることもできる。

教育熱心な親であれば、育児本を読んだり講演会に参加したりもしているだろう。

でも、それでもその知識をすぐに行動に活かすことができるのは、私にとっての仕事のようにそれに「適性がある人」だけなのだ。

私はここで初めて「できない」側の立場になり、こう思った。

頑張ってるの。ちゃんと勉強もしてるの。
でも、できないことをわかってほしい
できない中でも少しずつ善処してるの。だから、できないことを詰めるのではなく、できたことを認めてほしい

「やりたい」けど「できない」ことは諦めなくてもいい

自分が「できない」を経験することによって、一言で言うと私はかなり丸くなった。

感情的に声を荒げていた20代、表面上の感情はコントロールしながらも、冷たく「激詰め」していた30代前半…
今ようやく30代半ばにして「ああ、それでは部下は動かないんだ」ということを理解して動けるようになった。
チームとはお互いの信頼関係である。私がメンバーを信頼しないと彼らもまた私に心を開いてくれない。
私はマネージャーの天才じゃない。だからこそ、泥臭いけど、常に正直に自分の弱さを開示することにした。「ごめん、できないから助けてほしい」「これはあなたの方が得意だからお願いしたい、教えてほしい」そうやって頼ってばかりいる。
私は役割としてマネージャーを任命されているわけであって、彼らより偉いわけでも優秀なわけでもない。
マネージャーなのだから、誰よりも強く賢くいなければ!そう思い込んでいたものをリセットすると、あれだけ苦手意識があったマネージメントという仕事は実に楽しかった。

ここまで来るのにものすごく時間がかかってしまったし、正直今でも全く優等生じゃない。

まだまだいいマネージメントなんて出来てる自信はないし、これでいいのかなと日々不安でいっぱいである。

だが、新しいチームのメンバーたちに
「私が来てから忙しくなったけど、仕事が楽しくなった」「すごくチーム感がでてきた」とフィードバックをもらって、とりあえず現時点では及第点をあげていいのかなとホッとしている。

「YJさん(私)が来てから辞めたいって思わなくなった」「YJさんのチームで働けてよかった」と言われたときは思わず涙がこぼれそうになった。

そして「できない」ことでも、時間をかけて努力すれば決してそのまま不可能で終わるわけでもないのだなという自信を持った。

もちろん、それがやりたくないことであれば、努力はできないだろう。
それに例えば今からオリンピックに出る!なんてことは1000%無理だし、物理的に、理論的に不可能なこともあるとは思う。

ただ、世の中の多くの「(本当は)やりたい」けど「できない」ことは、諦めなくてもいいのだ。

まずは、やり方を知ること
そしてそれを愚直に実行して、できたこと、できなかったことを内省すること。

できなかったことをできるようになるまで、繰り返すこと。
そして、できたことを最大限認めて、褒めてあげること。

これが私は大事だと思っている。

私もまだまだまだまだ志半ば。
マネージメントも育児も全然上手にできていない。
だけど、私は諦めることをやめる

だって、成長ホリックだもの。
この先にまだ見ぬカッコいい自分が待っていると思うと、やっぱり挑戦をやめられない。

そして一緒に働くメンバーたちに改善を促しながらも、いいところ、できたところをしっかりと認めて褒めていきたいと思う。

本代に使わせていただきます!!感謝!