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しんどい時に、さらにしんどいことをすると一生忘れないという話。

これから新しいマガジンで、私が今までの人生で出会ってきて影響を受けた人のこと、そしてその人とのエピソードや、得た学びを書いていこうと思う。

第一弾は、7年間勤めた「リクルート」の先輩との話、そしてそこからふと気付いた事実について書いてみる。

あったまいい人!

Oさんと仕事をするようになったのは、私が本社へ転勤になり、業界最大手のクライアント担当になってからだった。

私は営業部、Oさんは確か事業企画的な部署に所属していた。当時の事業企画部は、組織のブレインという感じの超インテリ集団。
努力と根性、ガッツだけで人生を乗り切ってきた私とは全く水質が違うぜ…!と当時から一目置きまくっていたそのチームの優秀なメンバーであるOさんと絡むことに、まだ20代半ばだった私は、いたく緊張していた。

当時「鬼軍曹」という異名のついた、スーパー厳しい上司の元で働いていたのだが、彼からの厚い信頼を得ている点も、その気持ちを加速させた。

Oさんはコンサル出身で、非常に論理派。いつだって冷静で優しいトーンで話してくれるが、会話をしていると少しの論理破綻も許してくれないような、緊張感があった。

「もう勘弁してください」と泣きつきたくなった午前3時

業界大手担当の責務は重い。通常であれば、会社の中でもスキルがありキャリアも長いベテランがつくことが定石とされていた。

実際、私の前任の担当者は50代の大先輩。福岡から上京してきたばかりの、ペーペーの私が担当させてもらうというのは異例の出来事だった。
もちろん、私1人で出来ることは限られているので、鬼軍曹上司や、会社のブレインOさんなどのスキルを総動員して日々業務を遂行していた。

Oさんの具体的な役割は、私の企画書チェッカーである。
福岡で地場の中小企業をクライアントに営業していた私は、それまで企画書づくりというのをほとんどやったことがなかった。
ところが大手企業相手ではそうはいかない。経験もなければ知識もなくて、毎回体当たりで資料作成に挑んだが、鬼チェッカーと化したOさんに、毎度無惨に「だめ、やりなおし」と切り刻まれる。

ぐぬぬ…その日輪刀…切れ味良すぎやしませんか…

とダクダク血を流しながらも、素直さが取り柄の私は「作り直します!」と元気に二つ返事。
内心涙を流しながらも、来るアポイントの日まで企画書を何度も練り直した。
だが、直しても直しても「だめ、やりなおし」「ここの意味がわからない」「これじゃ伝わらない」と容赦無くズバズバ切られまくる日々。

これが企画書作るたびに発生するので、私も「じゃあもっと具体的に教えてよ!」と心の中は完全に逆ギレモードである(小心者なので口に出しては言えない)
ワークライフバランスなんてゼロの時代だったため、深夜のオフィスに1人居残り、2時3時まで資料を作るということさえ多々あった。

いや、もう正直しんどい。マジで眠たい。
今週3回目のタクシー帰り…。私何してるんだろう。
そもそも、だったら最初から企画書作ってくれたらよくない?私営業だし!話すのが仕事なんじゃないの⁉︎

疲れとストレスが溜まりすぎて、ダークサイドが表面化してくる。もはや正常な判断ができていない。
しまいには、数時間かけて作ったデータを誤作動で消してしまうミスまで起こし、さすがにその時は深夜のオフィスで暴れまわって泣き叫ぼうかと思うくらい辛く、思わず鬼軍曹に弱音メールを送った(鬼軍曹もさすがに慰めてくれた)
この時から、「資料はとにかくこまめに保存する」という訓示が脳に刻まれたのはいうまでもない。

あれ?私より寝てなくない?

逆ギレも甚しかった私が、自らの甘えを反省したのはそこからだ。
結果毎回アポまでに資料は完成せず、最終的にOさんが巻き取ってくれることになった。
よくよく考えると、毎度それはアポの前日。それも深夜。Oさんは自分の本丸の仕事ではない私の案件の資料を、毎回朝までかけて作ってくれていた
もちろんその出来は完璧である。

Oさんは私や鬼軍曹に対して一度も弱音や愚痴を吐かなかった。
「いやー大変だったんですよ!朝までかかりましたよ!」なんて私だったら絶対に苦労をアピールして同情をひく。
でもOさんはいつも淡々と「別に感謝なんていらない」というクールさで資料をサッと納品しては自分の仕事に戻っていった。

よく考えたら、自分で最初からやってしまったほうが100倍は楽なのだ。
私が提出してくる、ロジックもデザインもめちゃくちゃな、レベルの低いアウトプットにうんざりもしただろうし、それに適切な指摘をいれることの方が大変だったはずだ。
それでもOさんは私にやらせてくれた
できないのに。スキルもないのに。私に機会を与えてくれて、取り組ませてくれて、そして最後の最後で巻き取り、クライアントに迷惑がかからないように仕上げてくれた。

いや、ちょっとカッコよすぎかも…
逆ギレなんてしてる場合ではなかった。しかも、営業のフロントという立場上、企画が決まった時の手柄は私が総取りなのである。
皆はOさんがこんなに寝ずに、私の仕事をやってくれていたことを知らない。Oさんもまた、誰にもアピールしない。

この事実を正しく認識したとき、私は「絶対に成長しよう」そう誓った。
Oさんがこれほど身を削って私を育ててくれているのである。私がこれに応えないわけにはいかない。

鬼軍曹塾への入塾

ありがたいことに、Oさんらのお陰で成果を出せ、私は何度も表彰台に上らせてもらった。そのスピーチでOさんに日頃の感謝を伝えることができ、少しだけホッとしたことを覚えている。

また、通常の仕事以外でも鬼軍曹の主催する「鬼軍曹塾」というのが開設され、私を含む若手メンバーは強制的に入塾させられるということがあった。

これまたしんどくて、ただでさえ通常業務を日々深夜まで行っているのに、それに加えて塾への参加と、毎週重た目の課題が出されるのだ。

その講師の1人がまたもや、スーパーブレインOさんであった。
ここではそれこそ「企画書の作り方」や「ロジカルシンキング」「帰納法と演繹法」みたいな授業をしてもらい、毎度それに即した課題を出してもらった。

若手同士で「もうしんどいよね…」「こんな忙しいのにさ…」「ねえ課題終わった?私もちろんまだ…」と弱音を吐きまくっていたが、よく考えたらこれも、講義や課題を準備し、添削するOさんら講師の方が大変なのである。
しかも自身のプラスには一切ならない。
本当にこんな機会を与えてくれる会社や組織や上司や先輩たちには、感謝してもしきれない。
やっぱりこの辺の、人の成長に対するコミット力がリクルートの最高の良さなのだ。

しんどい時に、さらにしんどいことをする時は最高の機会だと思え

この事を思い出すと、いつも「あの時しんどかったなぁ。でもすごい成長したなぁ」という感想に至る。
思い返してみると、他にもしんどい!という状況でさらなる課題が降りかかったり、重圧を感じる出来事があったりしたときは同じ気持ちに至っていることに気づく。

これが面白いのは、取り組んでいる最中は全く成長実感を得られない点にある。
「これ本当やってて意味あるの?」「今やること?」そんな事を思ってしまうほど、スキルが身に付いている感覚も、成長している実感もない。

ただ、数年経って振り返るとなぜかあの時できなかったことができるようになっていたり、むしろ得意になっていたりして、それいつ学んだんだっけ?と思い起こすと、しんどかった日々が思い出されるのである。
なによりも、心の底からしんどかった経験を人は忘れない。これが余裕のある時に参加したお気楽な勉強会だったなら、ここまで自らの血や肉となっていないだろう。

ナニクソ!!と思いながらも必死に食らいついたからこそ、強烈な経験として刻まれているのである。

「今日」の日のことをいつ思い出すだろう

そう考えると、少し未来に希望が持てる。
今はそんなブラックな働き方はしていないが、2人のヤンチャボーイズの育児、フルタイム勤務、ワンオペという中々ハードモードな毎日で、正直肉体的にも精神的にもめちゃくちゃしんどい。

連日仕事で徹夜を繰り返していたあの時よりもしんどいかも…と思うほどなので、相当である。
ただ、しんどいけれどチャレンジしているということは、今何の実感もなくても数年後振り返ると同じように「あの時の経験があってよかった!」と思うのだろう、きっと。
そう考えると、しんどいのも悪くない。

逆にいうと「しんどくないとき」というのは、自分の成長が止まっているかもしれないという危機感を抱くべきなのかもしれない。
安定は退行、もしかするとその平和は「終わりの始まり」なのかもしれない。

さぁ、未来をみて、生きていこう。大丈夫、いつだってきっと、何とかなる!
Oさんが今どこで何をしているのかも知らないけれど、私もあれからそこそこ成長しましたよ!!
もし会って話すことがあるならば、少しはそう言えることが最大の恩返しな気がして、ちょっとばかし嬉しい気持ちになっている。


本代に使わせていただきます!!感謝!