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ロジックとエモーションの狭間で

15年くらい前だろうか。
父とそれなりに小洒落たレストランで、それなりに派手にケンカをしたことがある。
(大変迷惑な客である)

内容はもう忘れてしまったのだが、最後に父に伝えた一言は未だにたまに思い出す。

お父さんはね、正しいかもしれない。でも正しいことが常に良いことではないんだよ

今日もご飯が食べれない

父は昔から「正しい」人だった。
正義感が強くて、曲がったことが大嫌い。

人目も気にせずそれを発散するタイプなので、気に食わないことがあるとどんな場所でも人を論破して回る。

普通の家族にはあまりないのではと思うのだが、家族で食事に行って「その店で食べることができずに帰る」と言う経験が私には何度もある。

不躾な店員の態度に、父が激怒するからである。

たかだか小学生くらいの子どもにそんなキレた大人を諌める力はない。というか、普通に怖い。
(時に店の椅子を蹴り上げることすらあった。絶対ダメ)
父がキレ出したときには、私も母も妹も一言も発さず、父が「帰るぞ!」と怒鳴って店を出る後を、俯いて無言でついて行くのみだった。

恥ずかしい気持ちも強かった。
だが、それにも次第に慣れてしまってそのうち「今日はちゃんと無事にご飯食べられますように」「頼むから店員さんが変なことしませんように」「同級生がこの店にいませんように」と心の中で祈りを繰り返しながら、その時間を過ごしていた。
(ちなみにこんな家庭で育ったので、私は飲食のバイトや店長をしていた時、チップを連日もらったりと当たり前のように、接客をお客さんに褒められた。英才教育を受けていたからである)

コミュニケーションは正しさではない

「うわ、そんな親絶対ムリ」と感じる人も多いと思う。
私も本当に嫌だった。

具体シーンでの言動もそうだし、自分がその血を引いていること自体すら憎らしかった。
未だにそう感じることがある。

さすがに父ほどの強烈さはないのだが、気づくと私も仕事のチームメンバーや子どもや夫に正しさビンタを食らわしていることがある。

「だって自分は正しいことを言っている」

そう信じて疑わないことがある。
ケンカでは絶対に負けたくないと感じてしまって、いつのまにか、コトではなく人に向かっていることもある。

こんな時、ふと冷静になり
父に自分が告げた一言を思い出すのだ。

正しいことが常に良いことではないんだよ

父の指摘は真っ当だったかもしれない。
相手はぐうの音も出ないほど、いつも論破されていた。
でも、それが本当に最適解だったのだろうか

確かに正しさで意思決定するのは大事である。
特にビジネスの現場においては、何が合理的なのか?を常に考えて動かないといけない。

ただコミュニケーションは違う。

人間の感情というのは非常に複雑で

「正しいのはわかっているけどやりたくない」
「正論ぶつけられて嫌な気持ちになったから反発する」
「あの人の言ってることはわかるけど、人として好きじゃないから聞き入れたくない」

などと言うことが当たり前に起きる。

これを理解していないとマネジメントも子育ても夫婦関係も途端に難しくなる。

「何で言ったのにやらないんだろう」
「私の指摘真っ当だよね?」
「それ相手が悪くない?」

そう、冷静に考えるとそういうことはある。
だけど根本が間違っているのだ。ロジックで捉えても意味がないのだ。

正しいか、あっているかではなく、
相手は「やりたくない」のだから。行動を変えたくないと思っているのだから、表面上「わかりました」と渋々言ったとしても絶対にやらない。

なぜ?
嫌だから。内発的にやりたいと思えていないから。
もっと言うと、そんなあなたの言うことなんて心の底では聞きいれたくないと思っているから。

これがコミュニケーションの難しいところであり、人間の面白いところだなとしみじみ思う。

得たいゴールは何なのか

私も相手を論破して「勝ったぜ、自分が正しかった」と満足している時代があった。

でも、そんなの一切勝ちじゃなかった。

それによって私は、何回信頼関係を壊し、大事な人を失っただろう。

「勝った」と自己満足感に浸っただけで、結局私は何を得たのだろう?

一方的に正論をぶつけるマネジメントをして、何度メンバーの信頼を失っただろう。

「この人にはついていけないな」と思われただろう。
「あなたみたいにはできません」と言われただろう。

それを「根性ないな」とか「レベルが低いな」なんて思うのはマネジメントの怠慢である。

夫に対しても一緒で、なぜ相手の気持ちを汲んであげなかったんだろう、と反省したことは多い。

結局、得たいゴールは何なのか?を冷静に考えることが大事なのだと思う。

相手を論破して、気持ち良くなるのがゴールなのか?
気に食わないことを伝えてスッキリするのがゴールなのか?

それとも

相手に行動を改善して成果を出してもらいたいのか、もっと成長してもらいたいのか
気持ちよく生活できるようにしたいのか
良好な関係性を築いていきたいのか

ああ、コミュニケーションは本当に難しい。
40年近く生きていても未だに悩む。
全く不惑にはまだまだ遠すぎる。
偉そうに書いておきながら、未だに思わず失敗することも多い。

だけど、だから私は人に関わることが好きだ。
コミュニケーションが好きだ。

ロジックではないところで、人の気持ちが揺れ動くのを見るのが好きだ。
そんな一瞬があることで、人生は何倍も面白くなる

正しい答えを常に出してくれるロボットは便利だけど、楽しくはない。

嘘でしょ?何でそれ選んだの?
え!どうしてそんなに頑張れるようになったの?

期待を気持ちよく裏切られることが、私は好きだ。
時にそれで失敗したとしても。

不確実で、非合理で、思い通りにコントロールなんて出来ないから、人間は面白いし、組織は楽しい。

私は今日も、ロジックとエモーションの狭間で闘っていく。

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