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【山本五十六と真珠湾攻撃の真実‼】敗戦目的の国際金融資本を分かりやすく解説‼

雪学園チャンネルの雪です。

今日は真珠湾攻撃を考えて行きましょう。

山本五十六(やまもといそろく)について色々な考察やデータがありますがそれは本当に正しい山本五十六でしょうか。

1番言われているのは何の考えもない陸軍に対して唯一勝てる可能性のあった真珠湾攻撃を成功させた「軍神山本五十六」と称えられているでしょう。

当時のマスコミでもその様に書かれていたので仕方がないと思いますが、最も大切な空母を逃がしていることは隠されていました。


この事がきっかけでミッドウェー海戦に繋がっていきます。

はたしてそれが真珠湾攻撃の真実かを一次資料を元に解き明かしていきましょう。

今日の結論です。

【真珠湾攻撃は国際金融資本、共産主義者によって仕掛けられ永野修身による日本敗戦計画だった。】






真珠湾攻撃で米国は戦意喪失すると言っているが真逆

【日米開戦陸軍の勝算】の167ページに書いてありますが、山本五十六は昭和16年に及川海軍大臣に「戦備に関する意見」で真珠湾攻撃をすればアメリカ海軍とアメリカ国民は戦意喪失してしまうと言っています。

しかし結果はアメリカを怒らせてしまい日米開戦へと繋がる。
英米合作経済抗戦力調査とは全く逆の事を言っています。

真珠湾攻撃は陸海軍が否定、さらに演習まで米ソに筒抜けだっだ





昭和15年11月:11月山本五十六は及川海相に真珠湾攻撃を進言する。
12月連合艦隊が真珠湾攻撃を決定(原田宛手紙)。
昭和16年1月:山本五十六の及川宛手紙。(山本は色々な所で話して作戦が筒抜けになっていた。)
グルー大使に情報が入り、真珠湾攻撃をアメリカに報告。

9月:真珠湾攻撃の演習。
ゾルゲ(ソ連のスパイ)に情報が入りソ連に報告。



9月~10月:アメリカを怒らせるから海軍内で反対多数。
9月29日:大本営陸海軍部で真珠湾攻撃を認めない。(戦争指導要綱を正式決定)
対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案 昭和16年11月15日
対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案
10月19日:永野修身において内定。
10月29日:連合艦隊で内示。
11月3日:全ての反対を抑えて軍令部決定。(11月15日大本営陸海軍部で真珠湾攻撃を認めない。対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案を正式決定)

11月25日:山本五十六に作戦準備命令。
12月1日:御前会議
12月7日:真珠湾攻撃
大本営陸海軍部

簡単に言うと陸海軍部のトップが集まる会議です。

御前会議

簡単に言うと天皇陛下が出席して行われる最高会議。

陸海軍は団結だが海軍山本、永野が孤立していた


良く太平洋戦争は陸海軍は対立していたから負けたと言われていますが、上の時系列でも分かる様に陸海軍の対立は全くなくむしろ一致団結していました。

海軍の連合艦隊司令官の山本五十六(やまもいそろく)と軍令部総長の永野修身が勝手に進めて、結果的に海軍のトップ2人には逆らう事は出来ず対立してしまったのです。

真珠湾攻撃を始め大東亜戦争がどんなに不条理だったか「東條英機宣誓供述書 」


東條英機首相は直前で始めて知らされたと言っています。

そして開戦直前であまりにも不条理な開戦に、布団に正座して天皇陛下に号泣して謝っていたと家族が証言しています。

真珠湾攻撃の機密準備中国際金融資本、共産主義関係と会う


昭和16年5月に山本五十六はこの極めて重要な時期に、連合艦隊旗艦「長門(ながと)」に朝日新聞、昭和研究会の主要メンバー、元NHK会長など12人を招待していました。

何を話したかは書類が残っていない為確信はありませんが、恐らく真珠湾攻撃、戦争計画を考察していた可能性が高いです。


太平洋問題調査会

1929年頃からジョン・D・ロックフェラー3世に乗っ取られ始めて、敗戦工作に利用される様になった。

「近衛文麿 野望と挫折(141ページ)」

更に詳しく知りたい方はこちらの書籍をご購入お願いします。

雪学園チャンネルでは簡単に分かりやすくが目標なので、出来るだけ最小限の人物名しか出さないようにしています。

利用された連合艦隊司令長官【山本五十六】


①派手好き、女性好き、ギャンブル好き、逆立ちが得意、単純
アメリカのパーティ、軍縮会議で逆立ちでアメリカ人を喜ばせたり、船に乗っている貴婦人達を手すり逆立ち渡りで喜ばせたと、いろんな書籍で書かれています。

新潟長岡では五十六まつりも開催されていて逆立ち大会が行われています。

②真珠湾攻撃をしてみたかったと昔から言っていた

真珠湾攻撃をすればアメリカはびっくりしてしまい、戦意喪失してしまうだろうと本気で考えていたようですが、結果的にはアメリカが参戦する事になりました。

③昭和16年8月に連合艦隊司令長官の歴代初の任期継続

これがどれだけ凄いかと言うと、日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎ですら任期を継続されていなかったのです。


要するに真珠湾攻撃の為に任期を継続させたという事ですね。

④及川海相に真珠湾攻撃すれば米国、民は戦意喪失すると断言

⑤真珠湾攻撃させないなら辞職する
昭和16年の8月の開戦に向けたドタンパの中で山本五十六は、陸海軍省に対して真珠湾奇襲構想を伝え始める。

それは何と真珠湾奇襲をさせなければ、連合艦隊司令長官を辞職すると言う信じられない内容でした。

連合艦隊を人質にとって真珠湾攻撃を勝ち取った形になりました。


⑥真珠湾攻撃をすると言う断固とした考えを永野、米内光政に利用された
永野②の要素があった為、恐らく国際金融資本または共産主義者から真珠湾攻撃をするように指令があったのでしょう。

人物図でも分かる様に永野修身は繋がっている要素が大量にあるのです。

そこで単純な考えと真珠湾攻撃をしたがっていた山本の任期を伸ばして真珠湾攻撃をさせたと考えられます。





国際金融資本と永野修身の繋がっていた可能性、矛盾証言と不審な最後





①山本の辞職は困るから真珠湾攻撃を決済
永野修身は尋問調書で、私も海陸軍省も真珠湾攻撃は日本にとって、得をしないどころか敗戦原因になるので絶対に反対だった。

しかし、山本に辞められてしまっては困るので承認したと言っています。
②国際金融資本と繋がる多大な要素がある
連合艦隊司令長官、海軍大臣、軍令部総長、アメリカ駐在、ハーバード大学留学、駐米大使館付武官、軍縮会議などアメリカ絡みの経歴が多いので、永野修身の証言や行動、亡命後を考えてもこのどこかで、国際金融資本と繋がっていた可能性はかなり大きいです。


③巣鴨拘置所で疑問が残る最後を遂げた
①の証言の後に窓を破られて、真冬の寒さの中それを直してもらえずに、急性肺炎でアメリカ陸軍野戦病院で最後を迎えました。

恐らく永野修身は国際金融資本にとってとても気まずい証言をしたのだと思います。

そして①の証言をでっち上げられたと考えられます。

そうではないと軍令部総長である永野修身が、この様な不合理で矛盾した証言をするとは思えません。


④関係資料が全て盗まれた
永野修身の死後、巣鴨拘置所に残された裁判関係資料や手紙や諸記録は妻と娘に引き取られましたが、それらが大量に詰まった大きなトランクは、自宅に帰る途中で盗まれてしまったのです。

妻は新聞広告を出してまで必死に探しましたが、見つかることはなくそれを苦に亡くなってしまいました。

真珠湾攻撃を行っても大東亜戦争は50%勝てた

アメリカは戦争の準備はありますので、対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案の通りの事を半年以内と言う短時間でこなせば、まだまだ勝てる可能性は50%ありました。

その可能性すら潰したのが永野修身と山本五十六だという事は別の記事で書きます。

永野修身の証言など詳しい内容はこの本の325ページに書いていますので是非ご購入ください。





国際金融資本と繋がる永野が山本五十六を使い敗戦へ





話しをまとめて行きましょう。

真珠湾奇襲に関しては昭和16年11月15日まで陸海軍部で反対していて、 対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案でもはっきりとアメリカ世論を燃え上らせるだけだとが書いてあります。

大東亜戦争はアメリカ世論を目覚めさせずにイギリスを封鎖陥落させるのが目的でした。


大東亜戦争を戦っていれば日本は勝てたとスティムソンやチャーチル、ガンディーなど名の知れた偉人はみんな言っていました。


特にスティムソン回願録で文字に残しています。

山本五十六は単純に真珠湾攻撃を考えていて、日本が負けるのを分かって行わせた永野修身は最大の戦犯と言えるでしょう。

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