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簡単分かりやすく正しい歴史を学ぼう⑦

こんにちは😊📚歴史があるからあなたが存在している📚雪学園チャンネルの雪です。

今日は大和時代(古墳時代)です。

結論から申し上げますと

古墳がお墓だと言うのは噓で開拓工事の残土です。

それでは実際お墓でないのなら、古墳とは何かを解説していきます。

まず知ってもらいたいのは、古墳は山にはありません。

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全て平地にありますがなぜでしょうか?

古墳の周りは今は住宅街になっていますが、さらに大昔はどうなっていたかと言うと、林や荒地が広がっていました。

その林や荒地を田んぼにする為に開拓(土をきれいになだらかにする。)して水路を造るのに穴を掘りますね?

穴を掘れば残土が出ます。

要するに開拓工事がこの時代には頻繫に行われていて、その開拓工事の時に出た残土が古墳ですね。

現代なら残土処分はトラックなどで海などに運び、埋め立てなどに使われますが、この時代はトラックは当然ですがありませんね。

ですから計画的に残土を溜める場所まで運び、雨が降っても崩れないように形どり、盛土を造る必要があったのです。

一つ紹介したいのは、第16代仁徳天皇です。

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この人は民衆が苦しんでるのを知って、税をとるの止めたと言うのはとても有名な話しです。

他にも大阪府寝屋川市付近の築造(日本最初の土木事業)したり、大阪市生野区を築造し、大阪府南河内郡河南町辺りを掘削し、広大な田地を開拓したり、猪飼津に小橋(おばせ)を作ったり、京都府城陽市西北〜久世郡久御山町に水を引かせた。

仁徳天皇の時代にはとても大規模な土木事業が展開されていたのです。

この仁徳天皇の功績によってこの時代は豊かになって行きました。

これだけ大きな開拓工事ですので残土の量もとてつもないと思いませんか?

それがこれですね。

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みんなさんの良く知っている前方後円墳ですね。

そして仁徳天皇の崩御の後、民衆によって功績をありがたいことだと思い、この一番上にお墓を作ったのです。

その後なぜ古墳が無くなってきたかの話しに移ります。

田んぼができるということは水を引くしかありませんよね?

その為にはたくさんの水路を作る必要があるので、水路をたどれば水源があります。

その水源まで船で残土を運び、埋め立てに使えば残土処分はおこなえるようになるので古墳は無くなって行くのです。

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なぜ歴史が書き換えられてるかというと、ヨーロッパは奴隷の歴史です。

日本が立派だったと言うことはどうしても隠したかったのでしょうね。

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