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「自分が許さないから」って本当に自分の言葉?

『他人との比較はしないほうがいい』『自分らしく生きて幸せになるべき』ってよく言うでしょ。だからね、

「頑張りすぎちゃだめよ?」

いや、そういうのじゃなくて……

そうでもしないと、自分が許さないからやってんの」
別に誰かより多く頑張りたいとかじゃなくて、自分がそうするべきだと思ってるからやってるだけなの。


現代社会は比較対象ばっかりだ。他人の良いところがたくさん目に入ってくる。だから、情報をシャットアウトして己の成長に目を向ける。これが定番の考え方になってきている。

そうやって自分の内なる声を聞けば、自然と満足する道へ進める……はずなのに、いつの間にか自分を追い込んでしまう。誰かにそそのかされたわけでもないのに、自分が自分に無理を強いるから、「比較するな」という考え方以前に自分の声に責められる。逃げ場がない。どうして。

あれ、本当の自分の声はどこにあるんだ?

自分の中に芽生える「社会的頑張り屋さん」

『お腹が空いたなぁ。食べよう』
それはそうだ。お腹が空いたんだから、そりゃ食べたいよね。

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『1日3食、健康的な食事を作らないと……めんどくさいけど作ろう』
そうかもしれない。野菜なんかを使うと手間が増えるから、面倒になる。

それじゃあ、どうして健康的な食事をしたいと思ったの?

「そりゃあ、人として健康に気遣うのが当然でしょう?私はそう思うから、毎日3食頑張って作ってるの」

そうかい。確かに3食すべて体に気を遣うのはとてもいいことだ。でも疲れてるようだし、たまには手を抜いてファストフードなんかどうだい。その程度で体調を崩すほど体は弱くないよ。

「いいや。私は自分の意志で始めたの。今さら手を抜いた食事を出すなんて、自分が許さないよ」

本当?それならいいんだけど……ストレスには気を付けてね。

*  *  *

『今日も1時間勉強した。集中して頭に入るし、習慣が継続できていて良い気分だなぁ』
それはよかった。自分の行動から適切に充実感を得られているね。

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『今日はなんとか10時間勉強できたぞ。でも前回のテストが2位だった。さらに頑張らないといけないなぁ』

たくさん努力していてえらいね。だけど、疲れていないかい。

「毎日辛くて疲れ切っているけど、これがやり遂げた証だよ。それに1位を取らないと意味が無い。私にとっては勝つことが大事なんだ」

とりあえず寝た方が良いよ。君がどれだけ疲弊したところで、誰も褒めてはくれない。そこまでして1位を目指す理由は、君にとってどれくらいあるんだい。

「自分に勝つためだよ。これは私が見つけた目標なんだ。くたびれるほどに勉強を頑張って、そして1位を獲ったとき、やっと私自身が自分を認められるんだ」

そうかい。仮に1位を獲ったとして、その気持ちが満たされるかね……。

*  *  *

これはわかりやすい例を───コミカルに示したまでだが、誰もがこういった思考に陥りがちだと思う。

最初は誰もが「お腹すいたなぁ」と思って、「食べよう」と行動する。
これが本当の自分の意志であり、欲求に基づくものである。

でも、世の中は”より良さげなもの”を次々に教えてくれる。
より良い食事、より良い健康法、より良い家事、より良い料理……。
ネットの情報かもしれないし、知人のアドバイスかもしれない。

そしてそれらは、無意識のうちに自分の中の欲求を侵食していく。そのまま他人が発信した他人の価値観が、そこに沈着してしまう。
すると、気付けばまるで最初から自分の意志だったかのように
「食事は1日3食、健康的なものを食べるのが当然だ」と思い込む。


「そりゃあ、人として健康に気遣うのが当然でしょう?私はそう思うから、毎日3食頑張って作ってるの」

「人として当然?」
いや、それは本来思ってもいなかったことだ。誰かの価値観が自分の価値観にすり替わっているだけだ。

「いいや。私は自分の意志で始めたの。今さら手を抜いた食事を出すなんて、自分が許さないよ」

「手を抜いた料理を出すなんて許さない?」
昔は許していたのに、今はダメなのはどうしてなんだ?
しかも、今まさにそのルールに縛られて大変そうじゃないか。つまりそれは、本来の意志とはかけ離れているってことじゃないのかい。


こちらの人も同じだ。

「毎日辛くて疲れ切っているけど、これがやり遂げた証だよ。それに1位を取らないと意味が無い。私にとっては勝つことが大事なんだ」

辛い?疲れ切っている?それ自体は悪いことではない。でも、それを誇りにしているというのは「誰かがそういう自分を評価してくれる」という前提に立っていないか。そして、誰もそんなこと評価してくれないから自分こそが評価することによってごまかしているだけじゃないのか。

「自分に勝つためだよ。これは私が見つけた目標なんだ。くたびれるほどに勉強を頑張って、そして1位を獲ったとき、やっと私自身が自分を認められるんだ」

どうして2位じゃダメなんだ?1位が素晴らしいことはわかる。でも、自分の成長に目を向けられているなら順位なんて関係ないんじゃないのか。それは誰かが植え付けた「1位こそ正義」という間違った価値観に過ぎない。
1位しか幸せになれない世界というのは、他人の幸せを搾取していること意味する。それが正しい価値観のはずがない。


他人の声に埋もれて生きることが間違いではない。でも。

世の中にある素晴らしい作品や映像は、いったい誰が作っているだろうか。
きっとその一部は「誰よりも良いものを作りたい」という情熱から生まれたものに違いない。

悔しさと涙。誰にも負けたくないという強い執念。
それらは非常に尊いものだ。ネガティブな感情からしか生み出せない、圧倒的なパワーは代えがたいものだ。

しかし、それらは同時に儚いものでもある。
傷つきやすく、壊れやすい、借り物の力であることを忘れてはいけない。
一時的に自分を奮起させるのみで、常用してはいけないのだ。

だから、普段着だけは自分の言葉でまとめよう。
一切他人の言葉を排除し、自分の価値観の中で生きる。
自分が”やりたい”と思った事は正直にやる。”やるべき”だと思ったことは、ちょっと考えてみる。

「それは本当に自分から出た言葉なのか」

考え方のヒントとしては
「自分の価値観に正直に」そして「他人を傷つけない」
という選択肢から慎重に行動を選び取ることだ。


そうすることで適切に育まれた「自分が許せない気持ち」は、自分を蝕むことなく、むしろ力強いパワーとなって何かを生み出すことだろう。


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