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【エッセイ】心の広さ

戦争はなぜ起こるのだろう。
ここ最近のオリンピックと合わせて流れるニュースをみてふと考えた。

国のプライドなのか、象徴となるひとのプライドなのか?
人間は動物である以上、闘争本能はある、
でも本能に身を任せて、争い、
脅迫や脅し、駆け引きを楽しんでいるようにみえる。

その人の心はどんな気持ちなのだろうか。

群集心理

”群衆”は集団精神を持つ。
独裁者ヒトラーも愛読書であった「群集心理」を昨年読んだ。
群集心理を帯びた集団は、あたかも人格を持った個人のように振る舞うようになる。その群衆は、幼稚であり、野蛮であり、英雄的にもなれば、残酷な罪人にもなりえる。
争いが起こる時には、群衆を率いるリーダーが先頭に立ち、群衆をコントロールして立ち向かっていく。
リーダーの心境は、個人の心というよりは、率いる群衆を背負って立っている立場になると、群集心理に支配されて、幼稚で野蛮で英雄的にもなれば、残酷な罪人にもなるように思う。
その人の心では、なくなっているのかもしれない。


営業する時の気持ち

私は営業職を25年やってきたが、会社という看板を背負って競合他社と勝ち負けを争っている時の感覚が大好きだ。
そういう意味では、営業をしている時は闘争本能がむき出しだ。

はじめてその感覚を味わったのは25歳の頃。
ある商社から当時新しかったシステム構築の見積もり依頼をもらった。競合はもともと基幹系業務で取引をしていた某大手電機メーカー。
取引のない私の会社は完全に不利な状況だったけれど、会社を背負って必死になって戦う。
競合他社の営業所に単身で乗り込み、敵城視察とばかり面会したり
休日も返上し、夜討ち朝駆け営業もしたり・・
最後にはお客様から「もう頼まんと後が怖そうやからお願いしますわ〜」といわれ、半ば無理やり受注した。

営業をしている時は、会社を背負って戦っている感覚がある。
勝っても負けても、エキサイティングな闘争本能が刺激される。

会社という集団の群集心理的なものに支配されて、幼稚で野蛮で英雄的になるように思う。
自分の心では、なくなっているのかもしれない。


心の広さ

争いはなぜ起こるのだろう。

ひとつは、リーダーの心が狭くて未熟なことで、感情や本能に支配されてしまうこと。もうひとつは、群集を率いるリーダーが、その集団を背負っていることで、その群集心理に支配されてしまうこと。
争っている時の人間は、やっぱり群集心理と同じで、幼稚で野蛮で英雄的にもなれば、残酷な罪人にもなっているように感じる。

感情や本能に支配されてしまわないように、心を磨いて広くしなければいけない。
大切なことはなんだろうか?

”感情は窓が開いた部屋に迷い込む鳥のようなもの”と「Think clearly」に書いてあった。
感情という鳥は気まぐれに部屋に入ってきたり、気がつけばいなくなったりする。それを楽しむくらいの余裕が必要だ。

また、集団や群衆の中に身を置かない方がいいと思った。群集心理は感染する。

そうなると、リーダーはある意味孤独で、自分の心と静かに向き合っていくしかないのかもしれない。


争いは起こらない方がいい。
感情や本能や群集心理に支配された闘争は特にそうだ。
歳をとって最近思うようになった。


心の広さを大切にしていきたいな。



©️Mahalopine

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