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【エッセイ】年賀状 〜年に一度だけの文通

そろそろ11月も後半になってきました。
まだ少し早いかもしれませんが、「年賀状」のシーズンになります。
若い世代の方は、年賀状ってなに〜?って感覚かもしれませんが

「そろそろ年賀状の準備しないとなぁ」
「今年こそ、早めに準備して出すぞ〜」
「今年は、最低限のひとにしぼって・・早く年賀状を卒業したいわ」
などなど頭をよぎるのが、私たちアラフィフ世代なのかも・・


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そんな中で、今日も喪中はがきが2通届いておりました。
年賀状の準備をする少し前、タイミング的には喪中はがきがくる頃か・・
と、手にとってみてみると

そのうちの1枚が、新入社員の頃、大変お世話になった会社の先輩本人の喪中のお知らせでした。


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享年81歳。ご子息からの喪中はがきでした。

その先輩との思い出。
当時の私は24歳とかそのくらい。
最初に配属された営業所で、その先輩は地元の主(ヌシ)的な、すごい人脈を持った営業担当でした。
見た目は少し怖いけど、お客様と仕事には誠実。
未熟でやんちゃな営業見習いの私を優しく厳しく指導してもらった方です。

うちの親父よりも8つほど年上だったから
その方にとっては、自分の息子より年下の私は、生意気に映っていたのかもしれません。

いっしょにお得意先にいろいろ連れて行っていただきました。
その中で、いまでいうインターネット関連の目新しい仕事で
私がお客様の仕事を任せてもらえるようになると
自分のことのように喜んで
息子のようにかわいがっていただきました。


その先輩は、それから数年経って定年退職。
たしか60歳だったかと記憶しています。

「わしはもともと、線路(電話の電柱を立てたり配線したりする仕事)が本業やで、定年したら、自分が若い頃建てた電柱の点検の仕事をするんや。アルバイトみたいな時給800円の気楽な仕事やわ。」
「うちの会社で定年の最後まで働く人は、全体の1%くらいなんや。わしは今の仕事が好きやでな。最後まで働くんや。」

そういって、誇らしげに最後まで法人営業の仕事をされていた姿が、印象に残っています。


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年賀状はそれ以来、20年ちょっとやりとりをしてきました。

去年か一昨年あたり、令和になったから、思い切って年賀状をやめちゃおうかと考えた時期もありました。

でも年に一度、年賀状でしか会話しないひとが結構多い(笑)

印刷だけの人も多いけれど
その先輩は、毎年ひとことボールペンでメッセージを書いてくれていました

「東京では、あいかわらず活躍してますか?」
「そろそろセガレの顔をおがめるかな?」
「仕事は無理せず、体を大切にな」

私も先輩に、みんなと同じ年賀状は送っていたけれど
ろくに近況報告のメッセージも書かずにいました。


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いま年賀状を送り合っている人たちは
10年、それ以上に会わない人たちが多いです。

自分が若かった頃、お世話になった大先輩とは
年に一度の文通みたいなもんだったように感じました。


その先輩には、もう年賀状を送っても届かないけれど
年賀状がなくなっても
思い出す時間をとることが、大切なことかな、と。

「まだ、先輩も大好きだった会社を辞めずにがんばってますよ〜。勤続25年で表彰されましたわ笑 定年までいけるかわかりませんが、新しい職場になって、もう少し頑張ってみようと思ってます!」


今更ながら、本当にお世話になりました。
ろくにお礼を言えてなかったです。
私がバリバリ働きますので安らかにゆっくりお休みくださいね。


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見上げてごらん夜の星を / 木村充揮×近藤房之助



©️Mahalopine




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