【エッセイ】祈ること、願うこと
「神社は心のジム」
友人の記事に書いてあった言葉。
毎日のように神社にお詣りするようになり
この前ふと思ったことがある。
──「祈ること」と「願うこと」って、同じようで全然違うんじゃないか。
二礼二拍手一礼
いつも私は「お願いごと」をしていた
「家族みんなが健康でやすらかに過ごせますように」
「○○が成功しますように」
「金運があがりますように」
などなど。
でもそもそも、神様に、自分の欲望を、他力本願的にお願いすることはいかがなものだろうと……
願いが叶うこともあるけれど
そういう時は、案外欲がなかった時が多い気もする。
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人間は欲深い生き物だ
三大欲求は「睡眠欲」「食欲」「性欲」
こいつらは生理的欲求そのもので、さすがに歳をとってコントロールできるようになってきている。なんでも生理的な中毒症状があるように思う。
最近は、食欲への考え方もガラリと変わった。
ファスティングを継続すると空腹時に満足感を得られるようになってきた。
社会的欲求はどうだろう
ニューノーマルな時代になって、人との分断が多くなり
世界的に承認欲求や自己実現欲求が溢れる時代と言われている。
──私もその一人。神社でする「お願いごと」は、家族や仕事や自己実現欲求をみたすようなことが多い。
──「祈ること」と「願うこと」って、同じようで全然違うんじゃないか。
そう感じた時は、世界の平和を祈ったり、家族や大切な人の健康を祈ったりしたとき感じた。
利己的な願望や欲求
エネルギッシュに生きていくためには必要な時もある
資本主義的なビジネスを考える時そんな思考になる。
利他的に世界や環境や人のことを考える
利他的に願うことは、「祈ること」のように思う。
人の気持ちになって考える
次の世代のために、地球や環境のことを考える
大切な人の気持ちを考える。
それが結局は自分のことを肯定して
自分のことも大切に思う気持ちになる
神社で祈ることはそういうことなんじゃないか……
そんなことを考えながら
いつもの神社の鳥居の前で一礼してくぐり
二礼二拍手一礼。
はらえたまい、きよめたまえ、かむながら、くしみたま、さきわえたまえ
氏神様にある「唱えことば」
これを三回唱えて、あとは静かに祈るだけで十分。
世界が平和になって、人間が環境と共生できるように祈りたい。
記事執筆のための、いろいろな本の購入費用として活用させていただきます!