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ふるさとへの想いと、村文化との葛藤と

ふるさとに帰れなくなって3度目のお正月。

ふるさとに帰れず3年目

WHO International travel and health 2020年1月10日

世界的なパンデミックが発生して、もう少しで丸2年。
2020年の年始は海外旅行に出かけていたので実家に帰省しなかったので、年が明けて、実家に帰れなくなり3年目となってしまった。

大学生から一人暮らしを始めた時から、年末年始の年越しは、少しの時間でも必ず実家に帰省するようにしていた。
また、三重県は大好きなパチンコ屋が大晦日から元旦にかけてオールナイト営業になる。紅白歌合戦が終わって年が明けると、地元のパチンコ屋に中高の同級生のツレ達と集まって朝までパチスロするのが楽しみでもあった。

2020年は、初めて年越しで海外旅行をした年だった。
実は、その前の年の夏休みの帰省中、家族が近所の犬に噛まれて入院する事件があった。そのせいもあって、気分的に少し地元を敬遠してしまっていたこともあった。
でも、まさかそこからこんなことになるとは・・・

今年こそは〜と思い、直前まで予定を立てていたけれど、オミクロン株のニュースの影響で、心配性の親から電話があり帰省できず、愛知の実家で、お正月を迎えている。

ふるさとへの想い

さすがに3年目となると、鈍感な私も少しはふるさとへの想いがつのってきているように思う。
田舎で何もないところだけど、親や生まれ育った家、近所の風景、いきつけの場所やお店・・懐かしい気持ちが思い出される。

年末の親からの帰省直前の電話。

「なんかまた、心配になってきてなぁ・・広報誌にも書いてあったし、周りのみんなに聞いても帰ってきとらんっていうとるしなぁ」
「そんなこといい出したら、ずーっと帰れへんで・・なんでそんなに周りのことばっかり気にするんや、どっちが大事なん?」

ちょっと感情的になって、親と喧嘩っぽくなる。
やっぱり、実家帰って親にもあいたいと思っている自分を感じているからこそ、世間体というか、近所の噂みたいなのを最優先で心配している親のことに腹を立ててしまった。

うちの実家は三重のかなりの田舎の方だ。
地元の情報といえば、役場からくる広報誌や近所の噂話ばかりになる。
最近では高齢者の一人暮らし世帯が急増している。
うちの母は生花とお茶の教室をしているので、お弟子さん達とはいろいろな話をするけれど、やはり東京とか都会の情報には慎重になるし、何か別世界のもののように感じているんだと思う。


村文化の中の葛藤

高校の頃、私は少しでも早く都会に飛び出したいと思って名古屋の大学を受験して一人暮らしを始めた。
近所のコミュニティの閉鎖感や保守的な考え方から抜け出したい、と本能的に感じての行動だった。自分の可能性を感じて、村文化の保守性から脱出したかったんだと思う。


人はコミュニティを作らないと生きていけないし、村文化もいいところもあるけれど、外の世界を体験しない限り、広がりもないし価値観が、その狭いコミュニティの中に限定されてしまう。

新しいものを受け入れたり、新しいことに挑戦することには、ある程度のリスクを受け入れる必要がある。
村文化のコミュニティ内のニュースは、それが保守的であると、リスクを誇張してしまう傾向もあるように思う。


今回、親が電話してきた時、ただただ感染を心配しているだけだった。
私たち家族に、帰ってきてほしいと切望する気持ちの中で、保守的なニュースに翻弄されて、村文化と葛藤していた。

今回は、私の判断で帰省することをやめた。
両親は決めることができなかったからだ。

村文化の中にメンタルを帰属させて生きる両親。その価値観と気持ちはわかるだけに、今のような状況の中で、ふるさとへの想いが募ってくると、私の中で昔と同じ葛藤が湧いてくる。

パンデミックのリスクは冷静に見極める必要はあると思うけれど、村文化の中で葛藤しながらリスクを見切っていくことも大切なことだと思った。

電話で実家に新年の挨拶をした。
近くまできているのに、遠くにいるのような気がする。
今年は平和で穏やかに家族が過ごせる年にしたい。


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©️Mahalopine

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