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【エッセイ】繋ぐこと、繋がること

暦では立冬となって
毎朝、「今日は寒いのかな」とか、会話するようになってきた。

寒くなってくると、気持ちも、寂しさや暖かさ・温かさを感じるようになって、感受性が高まって、まわりのことにも敏感になる。

ひとの気持ちや、自然の彩り、生きていること、自分の人生とか──。

一歩ひいたところから、俯瞰的に、色んなことを見つめることは、
マインドセットを整えるためのひとつのメソッドだと、この前読んだ本に書いてあった。


流れる時間の中で、自分の気持ちを見つめる──────。


先日の環境系のイベントの時
一緒に働いているパートナー経営者の方が
スピーチで話されていた言葉が頭をよぎった。

「“繋がり”をつくることが僕の役割です」

1分間のスピーチに凝縮された言葉。その方は僕と同い年で、10年近く環境系のお仕事をされている活動家。
エネルギッシュな熱い情熱を持たれている方で、はじめてオンラインで会話をした瞬間から、ホットな繋がりになっておつきあいさせていただいている。

いろいろなひとのポジティブでピュアな”心”を繋ぐこと。
まさにそれを体現している人。

僕も営業歴が長いから、仕事をする時には”人脈”という人の繋がりが大切なことは、人一倍知っているつもりだ。
ただ単に、売り上げをあげることが仕事ではなくて、
人との繋がりを、いかに維持できるか?が大切なこと。

人との繋がりを長く続けられることが、商売を続ける秘訣であって、売上は結果であり手段のようなものだ。


あらためて、僕自身のいろんな“繋がり”について考えてみたくなった。


ひとの繋がり

「人脈がすごく多いね」「知り合いや友達がたくさんいるよね」
とかよく言われるけど、、実際はどうなんだろう。
本当に心を許して語り合えるひとが、いま、どれだけいるんだろう。

社会情勢が変わって、祝祭性が薄れる中で、
ひととの繋がりが、3年以上分断された。
仕事と違って定期的にWeb会議をするわけでもないから、
親友や親戚や毎年恒例であっていたいろんなひととの繋がりは
消滅しかけているように感じる。

職場の連中との繋がりも、リモートワークや在宅勤務で希薄になる。
歓迎会・送別会なんて、もう過去のことになってしまった。

そういえば、昔は職場で毎月五百円の積立貯金をして、年末にみんなで一泊二日のバス旅行が恒例行事だったことを思い出した。
その頃、若手だった僕は、幹事を任されたり、余興の芸を仕込んだりと大変だったから、ブーブー文句をいっていたもんだ。
今となっては、そんな職場のバス旅行なんて、なんならコンプラ的にNGになりかねないな……笑

時が無情に流れる中で、
人間は本能的に保身し、楽をしたくなって、殻に閉じこもって
ひとの繋がりは、自分から声をかけて、つくっていかない限り、どんどん薄れていくんだろう。


仕事との繋がり

終身雇用が崩壊した現代。
自分で言うのもなんだけど、大企業で26年も働いていると、将来のキャリアアップを考えると、リスク・不安で頭がいっぱいになってくる時もある。
社畜として生きることに追い込まれてきている現実。
仕事との繋がりはどうなんだろう。

ダブルワーク、マルチワーク、兼業・副業の推奨。
環境の仕事で関わる方々は、NPOや社団の方が多くて、ソーシャルワーク、ボランティアワークなどがメインだ。
今まで昼夜を徹してやっていた仕事という名の”作業”は、事務処理はRPAやAIが代行されて消滅した。
僕が得意としていた夜討ち朝駆け営業や飛び込み営業なんて、レガシーの極みで化石扱い。マーケティングオートメーションという名の営業の無人化が進んでいる。

仕事との繋がりは、いつ感じるんだろう。

いままでは職場にいることでマインドセットが整ってピリッとしていた。
在宅ワークでリラックスしながら、家族の顔を見ながら仕事ができる幸せ?なのだろうか──

いままではスーツを着てネクタイもしっかりしてプリっとしていた。
Tシャツにストレッチのズボンで画面オフでWeb会議するのが楽ちんだ!ということなんだろうか──

仕事と遊びは一緒になる。
これも何かの本に書いてあったこと。
もちろんそれはいいこともあるだろうけど、周りのいろいろな価値観のひとと繋がりながら、仕事をするとき、一部のひとと職種に限定されてしまうんだろう。


社会との繋がり

幼少の頃、ど田舎の字では近所のひとたちが毎日のように家にきていた。
字でお祭りがあったり、神楽組があって獅子舞が回ってきり──。
小学生の頃、その神楽組に家の長男が入らないといけない……というプレッシャーがあって、それが嫌で仕方なかった。
実際はどうだかわからないが、怖そうなお兄さんたちがたくさん集まっているところ──。僕の代の長男連中はまとまって入らなかった。
その結果、お正月の獅子舞が家が飛ばされたりした。

そんな村文化の”同調圧力”がすごく嫌いだった。

大学生から一人暮らしは、まずは田舎の村文化からの脱出が目的。
都会のマンションに住むようになって30年近く、近所付き合いを全くしていなかった。

この一年で変化があった。
環境系の仕事で、自治体等の地域コミュニティの活性化について関わるようになり──意識が変わりつつある。
マンションの理事会に入ったり、町会の防災部長に立候補したりした。
近くの神社でやっている「ラジオ体操」に休日行くようになったり──笑

地元のコミュニティに興味を持つようになった。

社会と繋がりを持つこと。
それは地域のひとびと、いろんな世代の方を敬ってお付き合いすること。
地域の歴史を知ることも大切だ。
今住んでいる街や地元や大好きな地域に繋がりを持てるようにしていきたい。



自然との繋がり

田舎生まれの僕は、自然と共に大人になった。
だから都会に憧れてここまできた。
「夜でも明るいところで働かせてください!」
新入社員の時には人事面談でそんなことも言っていた記憶がある。

アラフィフになってやっと(五六七の影響もあるけど)
自身の健康管理に目覚めて、自分の身体をいたわるようになって、自然との繋がりを意識するようになった。

緑の道を歩く。
朝の神社の大きな木々の木漏れ日を浴びながら、静けさや空気の香り、風の音を感じる。
テレビを捨てたり、紙の本を週一冊読み出したり、手書きのノートもはじめた。
無音の時間、自然の音をを楽しめるようになった。

自然との繋がりは、生命として自然なことで、感性や感覚が研ぎ澄まされてくるような感覚がある──。


自分が繋がること

意識できる自分があって、その自分がひとと繋がったり、ひとを繋いだり、仕事や社会、自然との繋がりを求めている。

シンプルに言えば、それが生きているってことなんだと思う。

繋がってきたことは人生の宝物
繋がっていることは人生を歩むこと
繋ぐことは利他的な気持ちで人のためにすること

繋がることは、かけがえのないものだと感じた。


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©️Mahalopine

記事執筆のための、いろいろな本の購入費用として活用させていただきます!