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シンプルさは、構成要素を同じ方向に向けてやる事によって産まれる

画家のマティスが本のなかで「”単純さ”と”簡単さ”は全く違う」と書いておりましたが、全くその通りだと思います。

ここでは「単純=シンプル」という言葉づかいにします。

「様々な要素が連動し、ひとつの個性として働く存在」である「シンプルさを持ったもの」と「内容が空疎で薄く、練り上げられていない簡単なもの」とは全く違います。

良く「無駄なものを削り落とした云々」がシンプルさの説明だったりしますが、それだと「失うものが多い」のですね。それだと、実用的・感覚的両面において限られた用途にしか通用しないものになってしまうのです。

削る、という言い方をするなら・・・「それが存在すると、連動性が鈍る」という判断によって、それを取り除く必然から削り落としたのなら「全体の機能を上げるための行為」ですから、そのような意味でなければなりません。

シンプルなものの特徴のひとつは、汎用性です。シンプルゆえに、いろいろに使えるし、発展性も産まれます。それは「起点」です。

だから「シンプルとはムダを削り落とす事だ、という簡単な理解」ではダメなのです。そういうものは「足りないもの」なのです。

例えば、減量が必要なタイプのスポーツにおいて、やみくもに体重を落としてしまってはダメですよね?必要なものはしっかり残し、時に増やし、必要の無いものは減らす。体と感覚全体が連動し、最も機能する状態にするのが理想ではないでしょうか。ただ体重を減らしてしまうだけでは、良い成績を残せません。

それと、シンプルなものには、感覚的な奥行きがあり、飽きにくい特徴があります・・・煩雑なもの、簡単なものは飽きやすい。

まとめますと

【シンプルさというものは、ある存在の成り立ちに必要な、いろいろな要素を削ることなく、同じ方向に向けてやることによって産まれる】

違う言い方をすると

「あるものを構成するのに必要な要素が、何も失うこと無く、それぞれの個性を発揮しながら全体が同じ方向へ向いて機能している状態は、その存在自体からはシンプルな印象を人々は受ける」

です。


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