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現代日本人はシンプルでいることが難しい

一神教の価値観によって出来上がった文化のなかにいる西欧の人たちは、どの分野においても根幹的にはシンプルに方向付けられる感じがします。(大まかに言ってですが)

一見、自由にやっているように観えても、実際には守られるべき中心があり、それを中心にして文化が回っている感じです。

現代日本人は、それが大変に難しい。

日本人は元々、散漫な感覚で、強烈な宗教的方向性を持たない民族ですから。

それと

現代日本には、選択肢があまりにありすぎるのですね。

素晴らしい質のものが、身の回りに溢れています。

そのなかに溺れているような感じです。

なので、例えば個人のセレクトショップなどで割と多くあるのが、統一した空間としてデザイナーが設計しても、しばらくするとオーナーが好きなものを手当たり次第に飾るので、収拾つかなくなってしまうパターンです。

オーナーとしては「自分の好みのものを集めた空間で満足」かも知れませんが、そこに訪れた人にとっては「冷蔵庫にあるものを片っ端から入れた鍋もの=魚も肉も野菜もウインナーも塩辛も味噌もケチャップもマヨネーズも入れた鍋もの」みたいな感じになってしまうわけです。

それも楽しさでもあるとは思います。

ドン・キホーテやビレッジ・バンガードなどの、お店の混濁は面白いです。あれは狙ってそうしている感じです。

意図してそうしているのなら良いのですが、自覚なくそうなってしまっている、というのはいけません・・・

日本人の民族的特質は、厳しい禅の思想と関連しているようなイメージがあって、シンプルな性質が本質だと思われがちですが、実際には、日本人、特に現代日本人がシンプルであることはかなり困難だと思います。

日本人は素材フェチでシンプルなものが好きな部分も大きいですが、理論よりは感覚や視覚的魅力に溢れるものが大好きですから、意外に文化的趣味は散漫だと私は思っています。

それと、日本人独自の強力な同調圧力があってなんとなく、日本人はまとまりが良い、一致団結する民族、と思われがちですが、実際にはそれぞれが勝手なことをやっていて、なかなか意見がまとまらないことも多いと思います。

町内会のちょっとした事でもなかなか決まらない事が多い・・・しかも、目的地に行くための議論ではなく、変な混ぜっ返しで時間を取られる・・・などは誰でも経験していると思います。

特に、その同調圧力が無くなる環境になると酷く行き当たりばったりで行動規範を守れなくなり、軽蔑されるような行動を平気でする人も増えます。

しかし、それは良くも悪くもですから、昔も今も、日本人に通底する文化的特性は「いろいろな素材やモノを一つの空間に入れたごちゃまぜのなかのバランスを取るのがうまく、そのバランス感覚そのものが美を産み出す」というものだと私は思っています。

しかし、それは大変に高度なので、誰でも形づくれるわけではないのですね。

「草」の茶室のようなもの、数寄屋造りのような、いろいろな形式・素材のものを同時に配列し、かつ背景に美の統一があるものを普通の人は作れないのです。しかし、出来ているものの良さを感じ、評価する事は出来ます。

だから、そういう鍛えられた日本独自の文化的洗練・伝統文化を学ぶ必要があるわけです。

基本的に人は、沢山の選択肢があれば、整理しきれずにごちゃごちゃにしてしまうのです。

西欧は、自由なように観えますが、実際には一神教的価値観のなかにいるので「自然に聖書に向かう」「聖書という北極星を中心に世界が回っている」感じなので自然に統一が取れるように思います。一見複雑にみえても、内部はシンプルです。(もちろん全てがそうではない)

が、日本人にはそういう固定した核が無い。

散発的で、熱しやすく冷めやすい。

何かを成熟させる前に、次の新しいものに飛びつく。

だから、あいまいで、移ろう感覚なのです。

だから、現代日本人が内部も外部も総合的にシンプルであろうとするなら、大変に自覚的にそうしなければ不可能なんだなあ、と思ったりします。

それには、日本の伝統を学ぶ(お稽古などではなく、直接学ぶ)必要があるように思います。


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