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なぜ短歌と俳句を作るのか

私のページをご覧いただいた方は既にご存じかもしれません。

私は短歌と俳句を両方作っています。
どちらかというと俳句のほうが創作歴は長く、短歌は初心者です。
短歌は5・7・5・7・7でお姉さん、俳句は5・7・5で妹分、季語が必要、という程度のことは最低限理解しているつもりで。
短歌や俳句が飛び出してくる時は、意識して選んでいる訳ではなく、その時の気持ちや言葉に合った方がコロッと飛び出してくる感覚です。(逆に「俳句を作ろう」「短歌を作ろう」と思うと作れなくなってしまいます。)
ですから、恥ずかしながら、文学的理論であるとか、口語の詳しい使い方であるとか、そこまで自信を持って説明できる状態ではありません。(いつか短歌や俳句の勉強会に参加させていただいて勉強しなくてはなと思っているのですが)

では、なぜ両方作っているのか、という問いに対して、急に短歌が心からあふれ出した先月(2020年6月)は、あまり考えることはありませんでした。
7月になり、改めてこの問いと向き合ってみた結果、私の生い立ちや家族について振り返る必要があることに思い当たりました。

私が祖母や母など、過去の人生を共にした女性たちに対して、ただ手放しに「やさしいおばあちゃん」「あったかいおかあさん」という感覚を持っていないことは、過去のノートや短歌、俳句をご覧いただけると分かるかなと思います。

実は、今の私に連なる女性たち…母方の祖母、そして母も、短歌、俳句を詠む人なのです。祖母は短歌の人、母は俳句の人です。

正直、祖母や母が親しんできた短歌や俳句の世界に踏み込んでいくことに抵抗はあります。これだけ作っておきながら変なのですけど。だって、真似はしたくありませんでしたから。祖母も母も閉じ込められた同じ輪の中を、結局永久に回ることになるんじゃないか、というイメージは、創作しながらも確実にあります。
それに俳句を作ることは、どうしても母に歩み寄ることのように思えるのです。連れ合いよりも頻繁に届くLINE、会いたい会いたいと恋人のようにせがむメッセージ、ネイルアートやヨガなど追いかけるようにして私と同じ趣味をたどってくる母…つい数年前までは、そういった働きかけに素直に従っていました。クリスマスの頃、まだ恋人同士だった連れ合いとの約束を反故にして実家へ帰り、あまりの虚しさに耐えきれず母の前で泣いたこともありました。しかし今の私には、マーキングのような母の行為がうっとおしくて仕方がありません。

でも、私は短歌と俳句を作っています。

血に刻まれているとか、遺伝子に書き込まれているとか、そういうことは言いたくありません。
幼い時分、祖母の部屋いっぱいに下がった新種の果実のような無数の短冊を見ていたこと、祖母から写真を見て俳句を作るよう言われ遊び半分に言葉を並べていたこと、あるいは、俳句の同人となり入選して大喜びする母の姿を近くでみてきたことが肥しとなって、つい最近、ひょっこり葉を出したというような風なのです。

短歌、俳句に親しんでいる方、ご不快に思われたらごめんなさい。
今の私にとって、短歌を作る行為は、俳句の人である母への小さな反発なのかもしれません。私の短歌には、新しい景色を見るぞと言う気持ちがうずまっているように思うのです。そして同時に、故郷で一人施設に暮らし次第に記憶を失っていく、かつて短歌の人だった祖母に寄り添う行為のようにも思えます。
一方俳句を作る行為は、母への反発心の中に息づく罪悪感、良心、郷愁のようなものを帯びています。

先日インターネットで検索をしていたら「短歌と俳句を両方作る人は、いつかはどちらかに表現方法を統一したほうがよい、正岡子規にはなれぬのだから」というような意見に行き当たりました。
確かに、どちらかにしぼったほうが、極めることになりますから上達はするでしょうし、歌集句集を作るにしても、並べたときの見映えは、短歌のみ、俳句のみのほうが宜しいのでしょう。
ただ、短歌のみ、俳句のみ、どちらかを選ぶことは、いまの私にとっては祖母や母との積み重ねてきた短くない年月を競わせてしてしまうことのように思えるのです。今はわがままを言わせてください。

将来どちらの道を選ぶのか、それとも短歌や俳句からは旅立っていくのか…私は私を観察し続けます。
そして、からかい半分でも構いません。見守ってくださる方が一人でもいらっしゃいましたら、私は幸せです。

最後に…2020年秋の文学フリマ(コロナよ静まりたまえ)に出すことになるであろう歌句集を母や祖母に謹呈すべきか、今、悩んでいます。

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