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二冊の句歌集同人誌を振り返って

自作の句歌集同人誌(短歌と俳句の同人誌)が二冊になった。

旧作『鵺なりに』のテーマは、仕事、退職、生きづらさ、希望、家族。

新作『海をまだ』のテーマは、退職、引越、移住。

二冊を眺めつつ、我ながら、自分の中で大きな変化があったのだなあ、と改めて感じている。

今回の記事では、この二冊の同人誌を自ら振り返ってみたいと思う。

■ 旧作『鵺なりに』のデザイン

鵺(ぬえ)とは日本で伝承される妖怪のことで、猿の顔、たぬきの胴体、虎の手足、尾は蛇であるとされ、文字通りの「異形」の存在だ。
昨年出した『鵺なりに』は赤の表紙にタイトルと筆者名は横倒しで、化け物のような目玉もついており、非常に攻撃的だ。
このデザインは、能「鵺」において鵺役がつけている面(マスク)「小飛出(ことびで)」の一部をモチーフにした。
赤も面の写真からスポイト機能で抽出した色だ。

(デザインコンセプトは私とは異なるであろうが、秋月祐一さんの歌集『この巻尺ぜんぶ伸ばしてみようよと深夜の路上に連れてかれてく』の表紙デザインを拝見した時、大変親近感を覚えた。↑文字にリンクを貼っています。おすすめ。)

■ 新作『海をまだ』のデザイン

今年出した『海をまだ』は、浅葱の表紙にタイトルと筆者名も普通の配置になっている。
旧作と比べれば大人しいデザインになった。
表紙の浅葱色は、数日間に渡り撮影した瀬戸内の海の写真からスポイト機能で抽出した色を使っている。
また、真珠の首飾りは、中川李枝子さんと山脇百合子さんの絵本『ぐりとぐらのかいすいよく』に出てくる「しんじゅとうだい(真珠灯台)」を見た時から好きな真珠のモチーフを、海のイメージとして取り入れたものだ。

表紙だけを取っても、優木ごまヲという人間のなかで、昨年と今年では大きな変化があり、対照的な心理状態になったことを思わせるのではないだろうか。
色相環上において、赤と緑が相対する補色の関係にあることも、それを象徴している。
そしてその変化とは、鎮静化という言葉で表現しても良いのかもしれない。

■ 旧作『鵺なりに』の紹介

旧作からは「前のめり」な自分を感じる。
よく言えば、表紙の色と同様、情熱的だ。
本文は100ページに届こうかというページ数で、掲載作品も多い。
正直なところ、今読むと推敲したい作品も含まれている。

破調(57577や575のリズムに合わない作品)を恐れず使用していたり、自分の世界観を表現するためには分かりにくくても気にしない、むしろ理解されなくても構わない姿勢が見えたりなど頑なな一面も見え、よくも悪くもビギナーならではの強さがあったようにも思われる。

踊り字のきょうだい二人で生きていく々は鍬鍬にゝは釣り針に
水素から仕切り直して初秋かな

また、鵺という架空の生き物、言うなれば化け物を自らになぞらえている所からしても、病気や退職により、自分が世の中から外れてしまったことに対し、困惑を覚えつつも、若干の陶酔があるように思われ、その上でまだ見ぬ世界に期待を寄せている。

Maiderはきっと届かないのでしょうだから私は種を蒔きます
頭頂の白髪我より迷い無し天上天下唯我独尊
人生の乱丁がなんだ二百十日
ブロッコリーひと山ほどの期待あり

仕事をやめて清々しているという心境も随所に現れており、懐かしく会社員時代を振り返っている様子はあまりない。
むしろ、仕事への不満や、その残酷さ、冷酷さを強調しているようだ。

つらいこと土に還して置いていくデスクの下で燃えたつるバラ
通勤とラッキーカラーもカブるのかあの子無視した彼女と今日も
遠雷や上司の内線二度三度
鈴虫の足一つ無く補正組む

(かと思えば人並みを求めるような心境や、世の中を冷めた目で見つめるような姿勢も少しだけ漏れ出ている)

当社比の優しさなんて要らねえよでもちょっとだけ舐める練乳

それは同時に、過去にとらわれがちであるということでもあった。
過去の嫌な記憶や、母への不満が垣間見える作品を盛り込んでいるのが象徴的だ。

知ってるよ男子に盗られたとりどりのラメ入りペンは銀河だったと
へその緒はとっくに切れたと思ってた上ってくるよ母に似た鬼

■ 新作『海をまだ』の紹介

新作からは、まだ見ぬ世界に期待を寄せつつも「どこかで一歩引いた自分」を感じる。
旧作の真っ赤な表紙とは打って変わって、浅葱色の表紙からは落ち着きを感じる。
自作を見つめる目も少しだけ厳しくなった。
本文の紙幅は減っているが、Adobeイラストレーターを学びデザインの幅を広げたことで、表紙や目次、本文のインク色など、見た目からも海のイメージを感じ取れるよう工夫したつもりだ。

旧作と共通するのは、仕事を辞めたことによる裸一貫の自らを見つめている点だ。
それは、無職であり、いわゆる主婦である自分を、何とか奮い立たせ誇ろうとする姿からも現れている。
一方で旧作と異なるのは、あれだけ清々して離れたはずの仕事にも、実はどこかで懐かしさを感じている姿だ。

背けるな螢袋のがらんどう
今に見よ一リットルの麦茶かな
さしすせそ古巣の噂小さじ一コーヒーゼリーをまた甘くする
序であって破でありそして急である便器をこするひと日の誇り

また、新作の大きなテーマは東京から地方への移住であるが、郷愁、東京を離れることの寂しさを描くと同時に、新しい世界への不安と期待がないまぜになった感情も込められている。

ボロ市のいきれ恋しく椀ひとつ
故郷の反対側に春夕焼
かたくなに東京の天気伝え来るスマホよ春を教えなければ
おむすびが温かいからこの町でやっていけるよきっとねたぶん

地方移住を希望の象徴と言い切れないことも描かれている。
それは例えば、地方の現実であったり、転勤族への複雑な思いであったりといった形で表れている。

春時雨転勤族の指白し
なんたって時給の違い蛾がおるわ
週末はみんなイオンへ行きはって媼の指が東方を射る
僕だって副流煙を吸いに行くサ店くらいは持っているんだ

なお、新作には、過去の嫌な記憶や家族への複雑な思いを詠んだ作品は、あえて入れなかった。
そういった作品はいまだに作る時があるし、雑念を手放した訳ではないのだが、今回は何となく「いいかな」という思いがあった。
移住により故郷を遠く離れ、心理的・物理的な距離を確実に保てるようになったことで、ある一定の区切りをつけられたのかもしれない。
むしろ、小さい頃母に読んでもらった絵本にデザインのヒントを得たり、表紙の浅葱色が母愛用の冬用コートの色に似ていたり、女性を連想させる真珠のイメージを採用できたりしたことは、自分の中ではかなり大きな進歩だったと思う。

■ 今後について

旧作、新作に共通するのは、優木ごまヲはまだ見ぬ世界への期待を失っていないということだ。
同じくらい不安も大きいが、気になることはできるだけすぐに試してみたい。
そして新しい世界を開いてみたい。
心身の健康にも留意しつつ。

自らのこのツイートでも書いたように、旧作は過去を、新作は未来を見つめた作品と言うこともまた可能かもしれない。

三冊目の次回作があるとすれば、過去と未来の間に位置する現在を描くことになるのだろうか。

例えお一人でも見守って下さる方がいらっしゃれば幸いである。

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