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地方移住で気付いた哀れみと反省

実家の母はよく「私が義実家にとって悪い嫁になり、ごまヲを義実家の古い考え方に染まらせなかったからこそ、あなたは自由に生きることができた」と言ったものだった。


家を継ぐとか墓を継ぐとかの考え方に囚われないこと。一人っ子長女なら婿を貰う、というような価値観に染まらせないこと。


最大の象徴は、母が結婚後も義理の両親(つまり私の父方の祖父母)と同居せず、仕事も辞めなかったことだろう。

母の犠牲があったからこそ、娘の私は東京の大学に行くことができ、東京で就職でき、自分が選んだ相手と結婚することができた、と。恩着せがましいと言うこともできるが、では母の犠牲が私の現在に全く影響していないかと問われたら、完全否定はできない。

こんな経緯もあって、随分長いこと「父方の祖父母と濃い付き合いをするのはあまりよくないこと」「父方の祖父母が言うことは真に受けないのが正解」だと信じて生きてきた。


インターネットでも、同居によって起こった信じられない人間関係トラブルや、同居の両親や義理の両親がいかに非常識で、彼らをいかにこらしめたか、仕返ししたかというような嫁側からの痛快エピソードをまとめたサイトなどを読む機会が多かった。


いつの間にか「実の両親、義理の両親との同居は古い考え方で、女性にとって悲劇でしかなく避けるべきこと」、「同居を選んでしまう女性は無力で浅慮」と捉えるようになっていたのかもしれない。


地方移住してきてから知り合った方の中には、実の両親や義理の両親と同居されている方がいる。
移住後間もない頃、その方の中の一人と他愛ない世間話をしていたら、義理の両親と同居されているという話題になった。


「うちはおじいちゃんとおばあちゃんがいるからねえ」と語るその方に対して、私はさも当然のように「うわあ~大変ですねえ~」と、眉根を寄せ、さも苦労を労うかのような態度を取った。心の中では殆ど哀れんでいたのだ。
しかし返ってきたのは「いやあでも色々助けて貰ってるからね、お互い様だし」という言葉だった。


その時私は、これまでいかに「実の/義理の両親と同居=大変」、「別居こそ自由で至上の価値観」という考え方一辺倒で生きてきたか、そして同居を選ぶ女性たちを哀れみ、もっと言えば卑下の対象として見てきたことに気付き、はっとした。

書いている今も、実の、もしくは義理の両親と同居だなんてとても無理だという考え方自体は変わっていない。おそらくストレスにがんじからめになってしまうことだろう。

地方移住で実家から物理的に離れられたことには、正直かなりほっとしている。もし将来子供ができたとして、実の母親に子供を抱かせたら奪われてしまいそうで嫌だ、とまで思うこともある。


しかし、他人にまで「同居ってストレスよね、同居って大変だし哀れなことよね、別居こそ自由の象徴よね」という態度でかかることは、間違っていた。


確かに、同居によってお互い支え合ったり、子供の面倒を見て貰ったりするほうが得ではある。
そもそも、都市と地方の別を問わず、実家、義理の実家から離れすぎない方が、受けられるメリットは多いと捉えることもできる。
勿論、実家、義実家と距離をとらなければ生活が立ちゆかなくなるほどの問題があるのなら別だが。(それでも一緒に暮らしている家族だって必ずいるはずだ)


義実家とあれほど距離を取ろうとしていた母でさえ、子育てにあたっては大いに実家を頼っていたのだから。

親戚はいず、知り合いもまだまだ少ない地方へやってきた今、私の身近には実家も、義実家さえもない。だからこそ、新たな人間関係を自ら構築し、誰かに助けを求める術を身に付けることが必要だと切に思う。

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