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いのちの終わりを子どもと話す

夫方のおじさんが亡くなった。

うちでは、いのちの始まりを話すことはよくあるけれど、
終わりの話はなかなか話題にならない。


ゆきえ 
「○○おじさんが亡くなって、どんな気持ち? 」


8歳二女
「もう会えないのは悲しい。」


12歳長女
「良く生きたね。お疲れ様!って言いたい」

そこからいろんな話をした。

いのちが終わるって?
・・いなくなる。
・・もう会えなくなる。
・・さわれない。
・・声を聴けない。
・・さみしくて悲しくて泣く。
・・パパとママがもし…
・・いやだ!こわい!この話もうやめようよ!!

12歳
「・・けど、心の中にいる。(以前に亡くなった)△△ばぁちゃんは心の中にいる。」


あぁ。そういうことを気づけるんだなぁ。ってジーンとした。さらに。


12歳
「何にでも生まれ変われるけど、子どもになるんだよ。○○おじさんの家族の子どもか、家族の仲間の子ども。家族はずっと一緒で、組み合わせ?順番が変わるの。」

えぇっ!?


12歳
「人間から動物にも、草とか花とかにもなれるし、虫も。」

えぇっ??


長女は発想が豊かで、イマジネーションの世界にいるなぁと思っている。
統一感のない話に「?」となること多いのだけど、
自由に話してる長女はとてもイキイキして
あぁ大丈夫だなぁと思える。

「吃音」が「生きづらさ」であったおじさん。
うちの長女に吃音があることを、
もしかしたら、優しいまなざしの奥で
誰よりも案じていたのかもしれない。
義母から聞いてそう思った。

おじさん。心を寄せてくれていてありがとう。
娘は、今のところ大丈夫だよ。
ことばをつっかえながらも、話すことをやめないよ。
「おじさんは心の中で生きている」って言っているよ。

いのちの終わりをじっくり話せる時間をありがとう。おじさん。

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