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私は人間何回目?〜転生の話

ある可燃ゴミの日の朝、窓際のデスクで日課の英語勉強をしていた夫が、外を見てこう言いました。

「今さぁ、ごみ捨てに行くおばちゃんが、道に落ちてるごみ拾って自分のゴミ袋に入れてから捨てに行きはったわ。ああゆう誰も見てないところで徳を積める人が、人間6回目ぐらいなんやな。」と。

どういう意味か分かります?

私たちは、随分古い本だけど島田紳助さんの著書で、タイトルも忘れてしまったし内容もうろ覚えなんだけど【人間は7回まで生まれ変わる】【7回目までいく人は仙人とか仏レベル】みたいな話を記憶していて、それ以来、長年「人間◯回目」という表現を使っています。

生まれ変わりとか、転生(輪廻転生)をガッツリ信じている訳ではなくて、話のネタというか例えのような感じで使っています



①人間は何回まで生まれ変われる?

私は、目には見えないものや形のないものに対する考え方、科学的に証明されないようなことは、色々な本や記事を読んで、その中から自分にとって一番【都合のいい】解釈だと感じるものを信じるようにしています。

勝手なように聞こえるでしょうが、運や神様と一緒ですね。(以前にも記事を書きました。↓↓)

「松本紳助」というテレビ番組でもこんな話をしていました。

電車の中ででっかい声でケータイで喋るオッサンとか、深夜にブォンブォン爆音鳴らしてバイク走り回る奴とか、周りに迷惑かけまくっている人おるやん。
ああゆう人はまだ人間1回目で、人間社会でどう生きればいいのか分かってないだけやねん。
そう考えたら、まあ人間初めてやからしゃあないか、と思えるやん。

逆に、同じ40歳でもこの人凄すぎて絶対勝たれへん、みたいな人おるやろ。どんだけ徳積んだらそんな人格者になれるんや?って人。
そういう人はな、実は何回も人間やってんねん。
でないとおかしいもん。同じ年数でそこまで到達すんの。

これもだいぶ記憶があやふやですが、まあだいたいこんな感じの内容だったと思います。(全然違ってたらごめんなさい。)
私も大阪人なので関西弁はかなり自然でしょ?

徳を積んで人生を終えられた人は、また次も人間に転生できる。そうじゃなかった人は次は虫とか草とか動物に生まれ変わる。みたいな。
回数は、何十回とか何百回とか制限はないとかあるとか色んな考え方があるみたいですけど、私は数えるのに7回ぐらいまでが一番シンプルに計算できるのでそうしています。(これも私の都合)

前世の記憶とかは別になんにもないけどね。
デジャブまでそうだと言うのは行き過ぎた話だと思う。

この解釈であれば、現代でいう迷惑系YouTuberとかオレオレ詐欺で生計を立てているような人たちを、
 初めての人間だから社会で生きる方法が分からんのか、だったらしゃーないな。
 人間2・3回目の自分たちはまず関わらないよう騙されないようにしよう。
 5・6回目の人たちにその人たちの指導や改心させる説得を任せよう。
こう思うほうが、気分を害されることなく腹を立てることなく【都合よく】割り切れるのです。

「人間力」とか「人間性」って言葉があるけど、それは頭の良さなんかは関係なくて、社会の中ででどう生きるか・人とどう関わっていくか、心や信念が綺麗かどうかだと思います。人間は社会の中でしか生きられないから。
すっごく頭のいい詐欺師やハッカーたちも、あれは賢い人間1回目という解釈です。(あくまで私見)

自分にとって都合がいい、とは不快な外的要因にイチイチ過剰に反応しない為ともいえます。
私がスッキリ腑に落ちて、納得できる解釈がベストだということです。

ネット上で匿名で悪質な書き込み攻撃を繰り返す
ような人。ああいうの、私はめちゃくちゃ嫌いです。
卑怯な人、他人を攻撃することで憂さ晴らしする人は
次は人間にならないでほしいと思ってしまう…。


②転生アニメがブームな現代。要因は何だろう?

夫は体育会系であり理系であり職人気質ですが、アニメオタクな要素も持ち合わせています。
よく prime video や Abema で最近でも色んなアニメを観ています。

流行りの転生モノだと、私も一緒に観ているのは「転生したらスライムだった件」「無職転生~異世界いったら本気出す」があります。中年が観ても案外おもしろいです。逆に言えば大人向けアニメであって、子ども向けではありません。

転スラ。夫は転生アニメの中でこれが一番
おもしろいと言っています。
無職転生。これもなかなかおもしろい。

他にも転生アニメは数多あって、異世界には魔法があったり、人間ではなくスライムや剣とか自動販売機に転生しちゃう話、特殊スキルにネットスーパー、なんてのもあるらしいです。私は上記の2つしか観てないけど。
もうここまでくるとどないやねんってツッコミを入れたくなるほど、転生モノは今ブームなのです。

でもこれも【都合のいい解釈】ができるモノだから流行っている、と理解できます。
 自分が死んでしまったら全てが終わる。
 大切な人が亡くなってしまったらもう二度と会えない。
と思うよりも、いつかあの世か別世界か・またこの世かどこかでまた会えるかもしれないと信じているほうが、死は辛くないからです。死は誰にとっても最も怖いものだから。

アニメでも、人を助けて犠牲になって死んだ、という良い行いで命を落としたからこそ、前世の記憶を持ったまま異世界に生まれ変わったという設定です。自殺では転生できないのだと。
そりゃそうだ。現実世界が嫌で自殺という逃避で別世界に生まれ変われるとしたら、ほんとに真似されかけない。大問題になる。自殺肯定になっちゃ絶対にだめ。
だからこの設定は、非常に妥当だと思います。

だってアニメは娯楽だもの。好きなように
異世界の設定をしたっておもしろければ
それでいいと思う。フィクションだから。


③まとめ 〜私は人間何回目?

徳を積めば、また人間に生まれ変われる。
犯罪や反社会的行為を繰り返していた人は、次は人間にはなれない。
うんうん。こう考えたら世の中は将来ますます良くなっていくだろうから、都合のいい考え方だと思う。

私はいったい人間何回目ぐらいだろう?
初めてではないと思いたい。犯罪歴もないし、人に迷惑をかけないよう慎ましく生きているつもりだし、誰かが傷ついていたら痛みも分かるし自分の心も傷つく。
大丈夫。ちゃんと人間らしい心と社会に適応しようとする姿勢は持ち合わせている。

だから、2〜4回目のどこかあたりかな。
5・6回までは絶対行けてない。そんなよくできた人間ではない。無償で人を助けられる人がそのあたりだと思う。
都合よく、私は3回目ぐらいだという認識で残りの人生も生きよう。

私がこの世で最もリスペクトしている私の実母のことを、私の夫は
「あの人は人間6回目や。次は仙人や。」と言っています。
そう思わせるぐらい、私の母は人格者というか悟りを開きかけているというか、考え方や生き方が素晴らしいです。

私の母が6回目だとしたら、瀬戸内寂聴さんは7回目ですね。人間の形はしているけれど、心は仙人です。

こんな風に、話のネタや例えとして転生を考えるのならば、なかなか楽しいでしょ?ほら、都合がいい。
でも、面と向かって人に「あなたは人間初めてでしょ?」なんて絶対言ってはいけませんよ!

読んでくれた方も是非、自分は・あの人は人間何回目だろうと想像して楽しんでみてください。
あくまで都合よく、ね。



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