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アンコンシャス・バイアス

アン(否定・非)un
コンシャス(意識的な)conscious
バイアス(偏見・思い込み)bias

て、知ってますか?
【無意識の偏見】のことを言うそうです。
自分は何故、その人や物事に対してそんなイメージを持つのか、根拠や理由などハッキリ説明できないような、なんとなくの【勝手な思い込み】みたいなことです。

誰もが持っているけど、自分じゃなかなかその意識に気付かない。
ある職業や、国・企業・人・物などに対して持つイメージのことを言います。

何に対しても、自分が持つイメージってあるよね

例えば私なら、警察官と聞けば「正義感の強そうな人」とか。消防士といえば「勇敢で逞しい人」を思い浮かべる。
看護師や介護職は、お世話好きとか博愛精神などのイメージが出てきたり。
中国製品より日本製のほうが良いイメージだったり。有機栽培と書いてあればなんだか安心な気がする。

最近は企業研修でも取り上げられています。
何故わざわざ横文字にするのかは分かりませんが、とある機会があって【アンコンシャス・バイアス】について考えてみました。




①バイアス(偏見)とは? なんぞや

私は現在、保育士の職に就いています。
今で継続11年。

毎日毎日、近くで見てきて・深く関わり・接していれば、子どもや保護者、同僚保育士に対して持つイメージができてきます。

【子ども】になら。。。
 Aちゃんは、年下の子に優しく、友だちを巻き込んで遊ぶようなリーダーシップもある。
 Bちゃんは、LaQやブロックなどが好き。手先が器用で、細かい制作も集中して取り組む。
 Cちゃんは、活発で運動が得意だけど、負けず嫌いが強く泣き虫な面もある。

【保護者】になら。。。
 Dちゃんのママは、いつも気さくでにこやか、話しやすい雰囲気。仕事はバリバリのキャリアウーマン。
 Eちゃんパパは、おもしろくて他の子ども達からも人気がある。

【同僚の保育士】に対しては。。。
 F保育士は、若いが真面目で、事前準備などをいつもきちんとしている。
 G保育士は、人間性も豊かでおもしろくベテランだが、大雑把な面もある。

このように、自分が知っている人や身近にいる人に対して「どんな人」とか「いつも〇〇してる人」などの【イメージ】を1・2行ぐらいで簡潔に説明してみてください。
深く考えず、ぱっと思い浮かんだイメージ。
それが自分特有のバイアス(偏見)と言うこともできます。



②偏見を「無くす」のは不可能、でも「知っておく」「気付く」ことは大事

このバイアス(偏見)は、上書きされていくものです。
決して固定されている考えではないということ。

自分と直接的な関わりのなかった、知らない国・知らない職業・知らない人に対するイメージと、TVやニュースなどで間接的に情報を得た程度の人、何かの接点があって話をしたり関わった人、何かの所属や生活圏が同じでよく会う人、などでも変わってきます。

初めの印象と後々の印象が違ってくるように、アンコンシャスバイアスも、時間経過とともに日々上書きされ変化していきます。
特に相手が子どもなら成長も早いし、大人でも仕事で会うかプライベートで会うかで受ける印象も違ってくるはず。
あるキッカケひとつで見え方がガラリと変わることもあるし、同じ人に対しても、2人の違う人間から見たら人物像だってもちろん異なる。

イメージなんて、十人十色。
夏と言えば?で、「海」と答える人や「山」と答える人。
「暑い」かもしれないし、「アイス」かもしれない。
はたまた、太陽・川・スイカ・鰻・向日葵? …etc.

偏見は「持つな」と言われて無くせるものではありません。だから無意識なんだろうけど。
でも、自分はこういうイメージや考えを持っていることを「知っておく」「気付く」ことは大事。

そしてそのイメージは正しくないかもしれない。全然間違っていて的外れかもしれず、新たに訂正されたり上書きされたりする可能性が高いことも知っておきたい。
ある一面だけを見て、その人のことを全て知った気になるのも違う。

自分から見えている部分は、あくまでその人の一部分。人の心の内まで全て見ることは不可能だからこそ「この人は、こんな人」と決めつけてはいけないのだと思います。



③まとまらないまとめ

人は主観でしか物を見られない。
「偏見」=偏った見方
とするならば、自分が持っているすべての考えやイメージは、偏見だとも言える。

家族でさえも、何もかも・全てのことを知っているわけではないし。
私も、最も長く一緒に居てこの世で一番よく知っている夫のことでさえ、仕事中はどんな人なのか、上司や部下からはどんな人間に映っているのか、男友達とはどんな風に接しているのか、一人で休みの日は何をしているか、知らない面はたくさんある。
だいたい想像はつくけど、それが100%合っている訳ではないだろうし。

親子だって、子どもが学校でいつもどんな風に過ごしているか、友だち関係や恋愛関係はどうなのか、何に対して興味があるのか、すべてのことは把握できないのと同じ。
子どもも、親の姿は主に家庭内での顔しか分からない。仕事の顔も、外での顔も、一人でいる時の顔も、知らないでしょう。

だから結局、自分の常識と他人の常識は違うし、「普通」と考えるものも人それぞれ。正義の反対は悪ではなくて他人の正義だと思う。
って、以前にも記事に書いたなぁ。↓

「かわいそう」とか「羨ましい」などの主観的な感情も、偏見といえば偏見。

だから、ひとり親だと聞いて大変そうだとか、子どものいない夫婦に対してお気の毒だとか、障害を持つ子にかわいそうだとか、もしも心の中で思ったとしても絶対にそれを言っちゃいけないなと思うのです。↓

何が言いたいのかよく分からなくなってきたけど。
これが、まとまらないまとめです。

要は「この人はこんな人」みたいな決めつけや先入観は持ちすぎず、「こんな一面もあるんだな」ぐらいの理解と、柔軟な頭と素直な心でどんな相手のことも見れるようになりたい、と思うのでした。
おしまい。


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