見出し画像

幸せな人とモヤモヤな人の選び方のちがい


私はこれまで何かを選ぶとき
「どうしたらいいかな」と考えていた。
これだけ聞くと、普通かもしれない。

でも人生うまくいってる人(半永久的なモヤモヤが無い人)のほとんどは
「どうしようかな」で選択していると気づいた。

この違い!!

「どうしたらいいかな」
→メリットが多い方を選ぶ

「どうしようかな」
→自分で選ぶ


メリットが多い方を選ぶのも悪くないという人もいると思う。とくに男性的思考を持つ方や、仕事ではこの選択をする方が多いかもしれない。

でも、自分の人生すべての選択肢を、メリデメや損しないかどうかで選んでいたら?


************************************************************


少し前に、大手商社一般職の女の子と話す機会があった。
商社の一般職といえば、その名の通りキラキラ女子(偏見だけど本当にそうだった)。総合職と違ってガツガツしていない彼女たちは、合コンで歓迎される人種でもあり、同じ社内の総合職の高年収男性と結婚して寿退社、という流れが一般的なイメージとしてもあるだろう。(知らんけど

私は今までベンチャー気質の企業や飲食など、どちらかといえば泥臭い系でしか働いたことがなかったので、本当に彼女たちのような人種には初めて会って、そのキラキラっぷりに圧倒された。めっっちゃ可愛かった。
その可愛さは、顔の造形などではなく、幸せのオーラで輝いていたからだとも感じた。

初めての人類(笑)に出会った私は、彼女たちに質問してみた。
「なぜ今の仕事を選んだのか?」
つまり就活の軸だ。
そしたら彼女たちから一番最初に出てきたのは、「まず、転勤は嫌だった」ということ。

うおおおおおお!!

選択の仕方の一歩目からまるで違う!

私の就活は「この何の価値も無い底辺のわたくしめを採用していただける企業であればどこへでも行きます。そしてなんでもします。」という姿勢で就活をしていた。ので!「〇〇が嫌」ということは一切考えなかったのだ!!

************************************************************


こんな選び方になったのは、もちろん幼少期からの親の育て方がある。
自分が選んだものにNGを出され続け、親のOKの出るものしか選ばせてもらえなかった。だから正解を探すという行為に出た、という流れだ。
※ちなみに親は子供を守るつもりでやってるので悪気はない。そして自分たちもそのように育っているのでさらに悪気無い。


実際のエピソードを一つ。


幼稚園生のとき、英語を習っていた。(習わされていた)
そこは先生も外国人で、「絨毯の部屋に靴で入る」ということをホテル以外でしたのもここの教室だった。
その教室でのクリスマス会で、外国の珍しいお菓子がたくさん出たことがある。

その当時、ウチはなぜかチョコレートが禁止されていた。飴やらスナック菓子はおやつで与えられるのに、なぜかチョコレートとガムは禁止されていて、許可された時しか食べられなかった。
(記憶にはないが、玉子豆腐を”プリン”と言われていたらしい)

そんなだから、私は出されたチョコレートを食べなかった。大好きだけど、ダメって言われてるから。そして同じ教室に通っていた弟は食べた。
「あーあ、いけないんだぁ、ママに怒られるよ」

教室が終わって母親のもとへ。
私がチョコレートを食べなかったこと、弟は食べたことを話すと
「別にいいわよそれぐらい。なんで食べなかったの?」と母。
まじで意味わからんかった。なんか恥ずかしかった。
半泣きで、もらったチョコレートを駅で食べたのを覚えてる。

今も思い出すとなんか泣きそうだ。
幼稚園児の子がチョコレート我慢して、えらいねって褒められると思ったらそんな言葉浴びせられて。
親に苦笑いされる5歳児。

可哀そうに。笑


ちょっと例としてはわかりづらかったかもしれないけど、幼少期からすでに何が正解かを模索していた。

また何か例を思いついたら書きます。

(ここまで読んでくださった方は❤押してくれると嬉しいです!※登録不要)

************************************************************

最近自分の振り返りをしすぎて、発見が止まらないのだけど、noteも「ちゃんと書かなきゃ」という、ちゃんとしなきゃ病が発動してなかなか頻度を上げられない。私自身も構成もクソもない乱文のブログを読むのが好きだからこれでいいのだと思いつつ、自分でやるのは勇気がいるものだ。
もっと自分から出てくるものを、何の制限もかけず、すん!と出していきたい。


この記事が参加している募集

お布施・お賽銭はこちらから💛