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研究者とミュージシャンのキャリア

ずっとまえに、関ジャムを観ながら思ったことを少しだけ。

研究者のキャリア、とりわけ文系領域に属している人たち、さらにいえばわたしの属している分野に限った話かもしれない、また非常に短絡的で安直な比較である、と前置きをして。

研究者の出す論文と、ミュージシャンが出す楽曲のフローというのは(表面的には)とてもよく似ていると思う。

まず、研究者の方から。
研究者はたいてい大学院生というキャリアから始まる。大学院生は、大学院に入って、先輩や教員、そのほか自分の分野の研究者のマネをしながら、そして同時に自分で理論を学びながら、論文らしき文章のカタマリを書いていく。それを「学会発表」の場でしゃべったりする中で、あるいは「研究ノート」としてまとめたりする中で、「論文」として磨き上げていく。
研究を続けて、成果をコツコツと積み上げていくと、30歳前後でそこまでに積み上げてきた研究成果を「博士論文」としてまとめることになる。
博士論文を書いて大学院を修了すると、博士論文の内容をもとにした「博論本」を出す。基本的に博士論文と同じ内容では出版できないので、大幅な加筆修正が必要らしい。
研究者として脂の乗りはじめたころには、人によっては共同研究なるものが始まる。これは「論集」という成果物にまとめられることが多い。
ベテランになれば、原稿の依頼が来るようになる人もある。学術誌や商業誌など、その範囲は様々である。あるいは、新書・文庫本の執筆依頼が来る人もいるかもしれない。

次にミュージシャンについて。
ミュージシャンの場合、最初は誰かのコピーバンドであったり、路上でカバー曲を歌ったりする。そしてそのあと自分の曲を書き、シングルCDとして世に出す。これがちょうど研究者でいうところの「学会発表」か「研究ノート」である。楽曲を世に出すときには概して、業界に通じたプロデューサーと呼ばれる人が手伝ってくれる。
そして、シングルCDを何本か出すと、いよいよアルバムCDを出すことになる。関ジャムでの話を引き合いに出せば、曲の順番・流れもアルバムの重要な構成要素だという。研究も同じで、これまでに発表してきた成果を束ねて本にすればよいわけではなく、何かしら通底するテーマを意識しながら再構成する必要がある。アルバムCDに未発表楽曲が組み込まれるのは、博士論文にも似たようなものを見出すことができる。
ベストアルバムか、あるいはちょっと早いリマスター版は、「博論本」であろう。
コンピレーションアルバムは、ちょうど「論集」に相当するだろうか。
ミュージシャンによっては、知名度が上がってくるとドラマ楽曲やCM楽曲などを担当するようになるかもしれない。
たまに活動休止をするのは、研究者にもあてはまるだろうか。

他にもいろいろと類似点があるかもしれない。もしかしたら、1曲ヒットを当てて、それで地方営業を回っているミュージシャンに似た生き方をしている研究者もいるかもしれない。

このように表面的ではあるけれど、両者の営みが似ているのならば、その内実=作品の生成過程も似ている部分があるのではないか。
世に出したいけれど出せない作品、タイトルが決まらなくて唸る日、生みの苦しみや葛藤、キーボードをなんとなく叩いているだけの非生産的な日々、所属レーベルが決まらない、など。あるいは、突如訪れるひらめきに舞い上がる日、会場が満席になる喜び、など。

※もちろん、たとえばアルバムや博論出版のプロセスはそんなに単純に比較できるものではない。けど、「出したくても出せない人がいる」点ではきっと共通している。

研究者のキャリアモデルというのは、あまりピンと来ないが、ミュージシャンの経歴というのは、雑誌などに取り上げられていたりするから、もし、両者のキャリアに類似性を見出せるなら、相手の「やり方」を参照するのも一つの手かもしれない。

もちろん、他分野の研究者や院生の方には今まで述べてきたのはあてはまらないかもしれない。
そう考えると、お相撲さんや映画監督みたいな、自分では想像もつかないキャリアの積み方をする研究分野もあるのかも。

20230610追記
①noteのサジェスト機能から、以下の記事を見つけました。1年ほど前に書いておられたようです。

しかも記事を書いた方は文化人類学者でおられるということで、なぜ事前にこの記事にたどり着けなかったのか……。

②力士や映画監督以外に、お笑い芸人のキャリアの積み方もいろいろ見てみたら面白いのかもしれないなあと思う今日この頃です。


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