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飲み会特有の騒々しさ

飲み会が苦手だ。
騒がしい雰囲気と、人が入り乱れる感じ。
声が大きくないと届かず、簡単に孤立してしまう。
話す前から声が相手に届くことを諦めて、話題を振られないようにびくびくしながら、相手の言ったことに笑顔と無言でうなづき続ける。

飲み会が苦手なのは思い過ごしかもしれないと思いなおして、久しぶりに飲み会に参加したのだけど、やっぱり苦手だという思いを却って強化して終わってしまった。
はじめの1時間は同じテーブルに座った人の話に耳を傾け、やっぱり無言と笑顔でやり過ごす。
次の1時間は人が次第に入り乱れるようになって、行き場がなくなって目線の持っていきどころに困る。
最後の1時間は疲れ果ててしまって、孤立してるな・あと何分ここにいなければなんだろう、と思いながら、スマホに目をやっては空を見つめる。
こんなに話せない人は、周りを見渡す限り誰もいない。

注目されて可愛がられるような、愛嬌のある女の子に憧れる。
「えぇ酔ってないですよぉ」と笑いながら話をし続けるような、人を寄せ付けるような、そんな存在にできることならなりたいと思ってきた。
そういう子を中心につくられる輪のどこにも、上手く入り込むことができないまま時間が過ぎる。
私は話す言葉を返さないのだから、きっと仕方がないのだろう。

雑踏の中、人の会話を聞き取れない。
騒々しさが騒々しさとして認識されてしまって、会話の内容に注目しようと思っても全てを拾えない。
次第にそもそもそこに参加してる風を装うことすらおこがましいのではないか、という感じになってくる。
結果、3時間の飲み会中話した言葉は本当に数える程度だった。

帰り道、話したことがない人と二人になった。
駅まで続く静かな道で、特に無理もせず会話を続ける。
今日初めて顔と名前が一致した年下の男の子と歩いた数分は、あんなに苦手意識を持っていたシーンのひとつではあったのに、不思議と会話の主導権をなんとなく比較的持ちながら歩き続けることができていた。
「飲み会って特有の雰囲気があるよねぇ」なんて、居酒屋が初めてだという彼と話しながら。

本当に苦手なのは、騒々しさなのかもしれない。
声が小さいという自覚と複数人のシーンで話せないことが相まって、相乗効果的に苦手な部類の最高潮のようになっていく。
もう飲み会はやめて機会があったら静かなところで話すだけにしておこうと思いながらも、そういう機会すら飲み会がないと発生しないことに気が付く帰り道だった。

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