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頭の中の厳しい親像

先々週くらいのしいたけ占いで、自分のことを自分の子供に対して接するようにして守ってあげてください、といったメッセージが書かれていた。
なるほどやってみようと思ったものの、その週の成果はひどいものだった。
私の頭の中にある厳しい親像を、まざまざと見せつけられただけだった。

人に責められるような出来事が起きた。
その時、この占いの中で言われるような子供に対して守る親像というのはきっと、大丈夫だよあなたは良くやったよとか、そう思ってあげることなのだと思う。
認識は、している。
だけどそれは正解としてそこにあるなぁと認知するだけで、実際に連想する言葉はすかさず、ほら見たことか、あなたのせいでみんなが迷惑をしている、といったものだ。
実際の親がそこまで強い言葉をかけることはもうそうそうないのだろうけど、頭の中に染み付いた親の子に対する守り方が、そういうものとして組み込まれている。

いつかのカウンセリングでやった診断テストで、自分の中の"厳しい親"の値が高いといった結果が出た。
その時はまぁそんなものか程度に考えていたそれが、なんだかものごく腑に落ちた。
私は私の中の親が話す言葉に左右されている。
私のイメージが作り出した親像が、私を型の中にぎゅうぎゅうに押し込めている。

かといって、自分の子供に接するように守ると言われたところで、辛かったね大変だったね、というのは違和感しかない。
きっとバランスがとれないのはここに原因があって、無理にでも思考をこっちにシフトする必要があるものの、それって本心じゃないのになんで、という気持ちをごまかしきれない。

セルフイメージの中の親が厳しいせいで、自分を生きづらくしているのはとても理解できた。
和らげる必要があるのはこの部分で、そうすることでもう少しやりやすくなる。
だけど私はそこに対する違和感を無視できなくて、その段階から先に進めない。

違和感はあっていいとして、そのギャップの埋め方はどこにあるだろうか。

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