仕事への意識が変わった一年
私がnoteを始めたきっかけは、2019年から抑鬱状態(名前を充てるならば適応障害)で、気力も体力も落ちたことにあります。そこからの2年間はこれまでnoteに綴ってきたように、凸凹であり、かつ、平坦で凪のような日々でした。周りの何もかもが怖く、音や空間すらも、息苦しく感じることすらありました。
そんな時に支えてくれたのは、旦那さんやnoteの皆さんでした。noteには心優しい方々がいて、呼吸が辛いと思った時は深呼吸をすればいいし、そんな日もあるよね、とコメントを寄せてくださいました。どれほど励まされたことか。寄り添ってくれる方に甘えて、やっとこさ、ぼちぼち日々を過ごしました。
そんな私にとって、2022年は、大きな転換期とも言える一年でした。
引っ越し、リワークプログラム通い、復職、再びの引っ越し、と目まぐるしく変わる環境におかれたのです。
本当はリワークプログラムに通うことに躊躇いのあった私。主治医の元を遠く離れ、会社から紹介された先の病院に毎日通いました。本心を申し上げると、一刻も早く卒業したかったのです。だって、自分ではもう働ける、と思っていたのですから。
でも、それはとんだ勘違いでした。毎日同じコミュニティに通うこと、通院すること、互いに素性を知らぬ人と個室で過ごすこと、簡単なようでいて、簡単ではありませんでした。
リワークプログラムやリハビリに通われている方、支える側の看護士さんと時間を共にするうち、皆さん其々にいろんな状況に置かれ、さまざまな想いを抱いていることを知りました。
↑私の大切なリワーク友達からもらった宝物です。
リワークプログラムを終え、復職した私は、このチケットを社員証に忍ばせて今も働いています。復職直後は、負い目や2年間というブランクに加え、仕事を続けていけるのだろうかという葛藤に苛まれました。
けれども、復職から半年以上を終えた今、そんな考えは微塵も浮かびません。何故って、周りを客観的に見渡してみると、意外と自分が思っていたほどバリバリと働いている訳ではなかったからです。休んでいた分頑張らなくちゃ、と勝手に気構えていた私にとっては、この気付きは、のちにとても大きな影響を与えました。
私の中の「頑張る」と他の人の中の「頑張る」は多分違うし、それぞれ違う。適応障害になった原因のひとつは、「頑張る」を見境なく、際限なく続けたから。いつの間にか「頑張る」が「踏ん張る」になっていました。
だから、「踏ん張らない」ことを毎日意識して仕事をしています。私が分からないことでも、誰かは必ず知っているし、誰かが困っていることを私がヘルプにのれることもある、そんな当たり前のことを繰り返し頭に叩き込みます。そうしなければ、「踏ん張る」タイプに戻ってしまうから。
2022年、私は中堅社員研修を受けました。なんだか少し背筋が伸びたような気がしました。
こちらの企画に参加しました。